松丸東魚

没年月日:1975/06/09
分野:, (篆刻)

 日展評議員、篆刻家松丸東魚は、50年6月9日、くも膜下出血のため、東京都中央区の京橋病院で死去した。享年73歳、本名長三郎。明治34年9月8日、東京市に須山助次郎・とくの三男として生まれ、その母方松丸氏を継いだ。大正8年、中央商業学校(現中央学院大学)を卒業。少年時代から篆刻に親しみ、10代の終り頃、大正印会に入り、新間静邨、常盤瓮丁などの影響をうけ、東方展に第1回から参加、第12回解散まで毎回出品し、第10回展(昭和16年)では特別賞を受賞した。東方展を通じて河井筌盧に親炙し、多くの教えをうけたが、もっとも影響をうけたのは呉昌碩からである。昭和24年毎日書道展審査員、同運営委員となり没年までその任にあった。また、同年第4回日展五科委嘱となり、以後没年まで毎回出品した。同28年には皇后陛下の御印を刻した。同33年日展評議員となり、没年までその任にあった。その間、昭和14,15,16年、毎年華北、満州を歴遊した。昭和33年には第1回訪中書道代表団として中国各地を歴訪し、同40年には西独政府招待により西独各地を訪問、次いで英、仏を歴遊した。また、昭和11年には知丈印社を創立し、戦後は主幹として後輩の育成に当った。また同30年には篆刻普及のため白紅社を興し、篆刻書道関係図書を刊行した。作品集に東魚印存初集14集、東魚刻印初集がある。早くから呉昌碩作品の紹介と収集につとめ、昭和39年には日本橋白木屋で呉昌碩生誕百年記念展を主宰し、呉昌碩書画集、呉昌碩印譜初集14集を編集、刊行した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(303頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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