安達貫一

没年月日:1976/02/03
分野:, (彫)

日本彫塑会々員、日展委嘱の安達貫一は、2月3日急性心不全のため、中野区の自宅で死去した。享年78。明治31(1898)年3月21日島根県松江市に生れ、大正2(1913)年島根県松江工業学校木材工芸科を卒業した。16才の年に彫刻家を志して上京し、木彫家内藤伸に師事した。同7(1918)年の頃から彫塑を学ぶため彫刻家で東京美術学校教授の建畠大夢にも師事した。ついで大正10(1921)年には東京美術学校彫刻科塑造部に入学、同15(1926)年同科を卒業、同年4月より研究科に入った。作品は在学中の第5回帝展に「自刻像」首を初出品して、初入選となった。その後作品は主として官展に発表したが、そのほか直土会展、日彫展にも出品した。
作品歴
大正14年 第六回帝展出品 「彌五像」
大正15年 第七回帝展出品 「拗た子供」
昭和2年 第八回帝展出品 「北見の女」
昭和3年 第九回帝展出品 「逍遙」
昭和4年 第十回帝展出品 「絲遊」
昭和5年 第十一回帝展出品 「虚」
昭和6年 第十ニ回帝展出品 「少女」
昭和7年 第十三回帝展特選 「三人の子供」
昭和8年 第十四回帝展特選 「すもうとるこども」
昭和9年 第十五回帝展推薦 「あそび」
昭和13年 第一回文展無鑑査 「少年像」
昭和14年 第二回文展無鑑査 出品作品不明
昭和15年 第三回文展無鑑査 「若き男」紀元二千六百年奉祝美術展
昭和16年 第四回文展無鑑査 「働く少年」直士会出品
昭和18年 第六回文展無鑑査 「子供」
昭和32年 新日本美術展覧会(日展)委嘱出品 「ひらく」
昭和33年 日展委嘱 「髪を持つ少女」
昭和34年 第二回日展委嘱 「希」
昭和35年 第三回日展委嘱 「ボールを投げる少年」
昭和36年 第四回日展委嘱 「少女」
昭和37年 第五回日展委嘱 「裸婦」
昭和38年 第六回日展委嘱 「少女」
昭和39年 第七回日展委嘱 「女の像」
昭和40年 第八回日展委嘱 「立膝の女」
昭和41年 第九回日展委嘱 「女の像」
昭和42年 第十回日展委嘱 「裸婦」
昭和43年 第十一回日展委嘱 「裸婦」
昭和44年 改組日展第一回展 「闘技」
昭和45年 第二回日展委嘱 「佇む女」
昭和46年 第三回日展委嘱 「裸婦」
昭和47年 第四回日展委嘱 「裸婦」

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(271-272頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「安達貫一」『日本美術年鑑』昭和52年版(271-272頁)
例)「安達貫一 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9570.html(閲覧日 2024-03-29)

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