早川巍一郎

没年月日:1978/06/12
分野:, (彫)

 彫刻家、多摩美術大学名誉教授早川巍一郎は、6月12日肝臓ガンのため東京お茶の水の順天堂病院で死去した。享年72。旧姓竹本。明治38年7月14日鳥取県東伯郡に生まれ、大正14年東京美術学校彫刻科(塑造部)に入学、個人的に藤川勇造に師事し、昭和4年卒業した。在学中の大正14年第12回二科展に「顔の習作」が初入選(竹本姓)し、昭和3年の第15回展では「女の首」「母の像」を出品して樗牛賞を受賞した。同7年二科会会友に推されたが同10年これを辞退し、同年第三部会展に出品、同16年には新制作派協会会員に推挙され「裸婦」を出品し、以後同会に所属した。戦後は、同26年から多摩美術短期大学教授に就任、同28年からは多摩美術大学教授として後進の指導にあたり、同51年停年退官し、同53年名誉教授となった。また、同41年から同47年まで文部省大学設置審議会専門委員をつとめた。新制作展の出品に「C子像」(7回)、「だんらん」(39回)、「鳩と少女」(40回)等があるほか、「和」(同32年)、「洋」(同40年)「豊穣」(同48年)「内藤先生像」(同53年)などの作品がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和54年版(315頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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