岡田捷五郎

没年月日:1976/10/02
分野:, (建)

 東京芸術大学名誉教授、建築家の岡田捷五郎は、10月2日午前5時30分、急性肺炎のため東京都新宿区の自宅で死去した。享年81。岡田捷五郎は、号を蕉巴(しょうは)、明治27(1894)年11月24日、東京市牛込区に生まれ、大正2年早稲田中学校卒業、同4年4月東京美術学校図案科第2部(建築科)に入学、9(1910)年3月卒業、卒業制作によって日本美術協会より銅牌をうけた。大正9年3月~11月滝川工務店に勤務して建築設計に従事したが同年12月~11年11月まで赤羽工兵第一大隊に服務、除隊後は、兄岡田信一郎の建築設計事務所で設計を担当、大正13年11月から同15年1月まで建築視察のためヨーロッパ、アメリカを歴遊した。帰国後も岡田信一郎事務所において設計監理に従事し、一方、昭和2年(1927)6月から母校の東京美術学校建築科講師となり後進を指導、同18年5月には同校教授となった。また、昭和5年6月から11月には北アメリカ、カナダの各地を視察旅行し、昭和7年兄信一郎没し、そのあとをうけて建築設計事務所を自営した。昭和24年6月、東京芸術大学教授、37年3月停年のため退職、名誉教授となった。退職後は、南建設株式会社相談役、信建築事務所顧問、日本建築士会理事、及び理事長などをつとめた。昭和39年7月建設大臣より表彰状並びに銀盃、同40年11月には勲三等瑞宝章をうけ、没後、正五位に叙せられた。
 設計監理に当った主なる作品に、銀座伊東屋、明治生命保険会社本社々屋、黒田清輝記念館(以上、兄信一郎設計に協力)、琵琶湖ホテル、高千穂ビル、京都田付商店、太陽生命保険会社京都支社、日本出版クラブ、旺文社本館などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(286頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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