八木一夫

没年月日:1979/02/28
分野:, (陶)

 京都市立芸術大学教授の陶芸家八木一夫は、2月28日心不全のため京都市伏見区の国立京都病院で死去した。享年60。1918(大正7)年、7月4日京都市東山区に生まれ、37年京都市立美術工芸学校彫刻科を卒業する。その後陶芸に専念し、47年第3回日展に「白瓷三彩草花文釉瓶」が入選したが、同年「青年作陶家集団」の趣意書を発表、その第1回展を行い、48年同集団解散後、美術陶芸グループ走泥社を結成主宰し、伝統にとらわれない自由な陶芸をめざし、オブジェ焼きという新分野を開いた。50年パリ・チェルヌスキー博物館での現代日本陶芸展、51年イタリアのファエンツァ陶磁器博物館に出品、59年第2回国際陶芸展(オステンド)、62年第3回国際陶芸展(プラハ)に出品しいづれもグラン・プリを受賞した。71年京都市立芸術大学美術学部教授となり、同年第11回オリンピック冬季大会入賞メダルのデザインを担当する。73年には京都市立芸術大学シルクロード調査隊隊長としてイラン、アフガニスタン、パキスタンに赴く。また、66年ロサンゼルス、74年ギャラリー射手座(京都)、78年伊勢丹(東京)で個展を開く。没後の81年京都国立近代美術館、東京国立近代美術館で、「八木一夫展」が開催された。主要作品に「金環触」(48年)「ザムザ氏の散歩」(54年)「雪の記憶」(59年)「碑妃」(62年)「壁体」(64年)「素因の中の素因」(69年)「メッセージ」(73年)「密着の距離」(74年)「教義」(78年)など。

年譜
1918年 7月4日、陶芸家八木一艸(栄二)の長男として、京都市東山区に生まれる。
1925年 京都市立六原尋常小学校に入学する。
1931年 六原尋常小学校を卒業と同時に、京都市立美術工芸学校彫刻科に入学する。彫刻を石本暁海、松田尚之、矢野判三に、デッサンを太田喜二郎に、美術史を加藤一雄に学ぶ。
1937年 美術工芸学校彫刻科を卒業し、商工省陶磁器試験所の伝習生となる。また、この頃同試験所の指導にあたっていた沼田一雅の日本陶彫協会が結成され、これに入会して陶彫を学ぶ。
1939年 1月、三越(東京・日本橋)で日本陶彫協会第1回展が開かれ出品する。
5月、大阪歩兵第八聯隊に補充兵として入隊する。
8月、南支広東方面へ派遣されたが、9月に発病し、現地で入院ののち帰国する。
1940年 8月、補充兵免除となり、除隊する。
1943年 神戸市立中宮小学校の図工科教員となり、ついで、京都の立命館第二中学校助教諭となる。
1946年 立命館第二中学校を退職し、陶芸に専念する。
9月、中島清を中心とし、若い陶芸家による「青年作陶家集団」が結成され、伊東奎、大森淳一、田中一郎、山田光、山本茂兵衛、松井美介、斉藤三郎らとともに、その創立に加わる。11月には鈴木治も参加する。
1947年 2月、「青年作陶家集団」の趣意書を発表する。
5月、青年作陶家集団第1回展(京都・朝日画廊)に《掻落向日葵図壺》を出品する。
10月、第3回日展に「白瓷三彩草花文釉瓶」で初入選する。青年作陶家集団第2回展(朝日画廊)に「春の海」を出品する。
1948年 5月、京展工芸部に《金環触》を出品し、京都市長賞を受賞する。第1回パンリアル展(丸善画廊)に出品する。
6月、前年、富本憲吉を中心に結成された、新匠工芸会の第1回展に出品する。
7月、青年作陶家集団は第3回展ののち、会員間の芸術上の見解の差異から解散し、八木は鈴木治山田光、松井美介、叶哲夫とともに「走泥社」を結成する。
9月、第1回走泥社展を大阪・高島屋で開催。
1949年 この年、京都、七彩工芸の嘱託となり、マネキンを造る。
八木一艸・一夫二人展を朝日画廊で開く。
1950年 3月、ニューヨーク近代美術館に《少女低唱》《飛翔するカマキリ》など4点が陳列される。
4月、京都市美術館事務所で第2回走泥社展を開く。
11月、パリのチェルヌスキー美術館で「現代日本陶芸展」が開かれ、出品する。
1951年 3月、イタリアのファエンツァ陶磁博物館で日本部が新設されることになり、楠部弥弌、近藤悠三、清水六兵衛、宇野三吾、石黒宗磨、鈴木治らとともに八木の作品が送られる。
走泥社展-京都市美術館、京都府ギャラリー、東京和光
1952年 染織作家高木敏子と結婚する。
須田剋太津高和一植木茂中村真らを中心に非形象と抽象造形を目ざす、現代美術懇談会が結成され、これに参加する。他に吉原治良森田子龍早川良雄らが参加した。
走泥社展-京都市美術館、毎日新聞社京都支局ホール、東京和光。
1953年 走泥社展-京都市美術館、東京和光。
1954年 8月、京都府ギャラリーで個展を開く。
11月、現代美術懇談会の展覧会ゲンビ展(京都市美術館)に出品する。同展は吉原治良津高和一須田剋太宇野三吾森田子龍らの作品百数十点を展示。
12月、フォルム画廊(東京)で個展を開き、この時《ザムザ氏の散歩》を出品する。
走泥社展-京都市美術館、東京和光。
1955年 3月、長男 明誕生。
4月、個展。
この年から、無釉焼締のオブジェ作品を造る。
走泥社展-京都市美術館、東京和光。
1956年 6月、タケミヤ画廊(東京)で個展。
7月、次男 正誕生。
11月、京都市美術館主催「新人グループ展」に出品する。走泥社京都展はこれをもって代行する。
1957年 京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)彫刻科非常勤講師となる。
この年、初めて黒陶作品を造る。
走泥社展-京都市美術館、東京高島屋。
1958年 今東光が工房に来訪し、八木の器に絵付をし梅田画廊(大阪)で二人展を開く。
走泥社展-京都市美術館、丸越デパート(金沢)。
走泥社クラフト展-白木屋(東京)。
1959年 4月、国立近代美術館(東京)の「現代日本の陶芸」展に出品する。
10月、第2回国際陶芸展(ベルギー・オステンド)に出品の《鉄象嵌花壺》がグラン・プリを受賞する。
走泥社展-京都市美術館、西武百貨店(東京)。
1960年 走泥社展一京都市美術館、西部百貨店(東京)。
1961年 京都・パリ交歓陶芸展に選ばれる。同展は2月京都市美術館で披露され、5月、セーブル付属博物館で開かれる。
走泥社展-京都市美術館。
1962年 8月、第3回国際陶芸展(チェコスロヴァキア・プラハ)に《碑・妃》を出品しグラン・プリを受賞する。
走泥社展-京都市美術館、新宿画廊(東京)。
1963年 4月、国立近代美術館京都分館の開館展「現代日本陶芸の展望」展に《作品1》《作品2》を出品する。
10月、国立近代美術館京都分館の「工芸における手と機械」展に《花器》《鉢》を出品する。
フジカワ画廊(大阪)で個展。
走泥社展-京都市美術館、新宿画廊(東京)
1964年 8月、国立近代美術館・朝日新聞社主催の「現代国際陶芸展」に実行委員を委嘱され、同展《黒陶》を出品する。同展は以後、京都、久留米、名古屋を巡回。
9月、国立近代美術館京都分館の「現代日本の工芸」展に《書簡》を出品する。紅画廊(京都)で個展を開き、黒陶オブジェ、クラフトなど20数点を出品する。
11月、銀座松屋で個展を開く。この頃から焼締とともに、黒陶による皺寄せのオブジェ作品が多く見られる。『信楽・伊賀』(日本のやきもの・淡交社、共著)が刊行される。
走泥社展-京都市美術館。
1965年 翌年にかけて、サン・フランシスコ、デンヴァー、ニューヨーク等、アメリカ8都市巡回、ニューヨーク近代美術館主催の「日本の新しい絵画と彫刻」展に招待出品する。《雲の記憶》がニューヨーク近代美術館に収蔵される。
9月、丸善画廊(仙台)で「八木一夫・照倉順吉二人展」を開催する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹(東京)。
1966年 3月、ロサンジェルスでの個展を披露する展観を山田画廊(京都)で開く。3・4月、ニューヨークで開催の「ジャパン・アート・フェスティバル」に招待出品する。
4月、フェイガン・パルマー画廊(ロサンジェルス)で個展。
5月、京都市美術館で「八木一夫作品展」(平常陳列として、「近代フランス・ポスター」展、宇野三吾作品展」と併陳)
11・12月、壱番館画廊(東京)で「八木一夫・壺展」を開き、信楽焼作品を中心に発表する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹(東京)。
1967年 11月、京都市美術館での第30回走泥社展にガラス作品を発表する。
12月、壱番館画廊(東京)で「辻晋堂・八木一夫展」を開き《帽子》《環境の指》などを発表する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1968年 2・5月、京都・東京国立近代美術館の「現代陶芸の新世代」展に出品。
4月、京都教育大学非常勤講師となる(1971年4月まで)。
10月、伊勢丹(東京)での「陶」個展に《髪のデザイン》《頭は先に進む》を発表する。『風月』(日本の文様・淡交社、共著)が刊行される。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹(東京)。
1969年 1月、『「八木一夫作品集』(求龍堂)が出版される。
2月、壱番館画廊で「八木一夫作品集刊行記念展」が開かれ、《碑・妃》(1962)から《みんなさかさま》(1968)まで10数点を出品。
11-12月、伊勢丹で八木一夫銅器展を開き《花の花生》《知恵の輪》《ニュートンの耳》など30数点を発表する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1970年 10-11月、京都国立近代美術館開催の「現代の陶芸-ヨーロッパと日本」展に《投石》を出品する。走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1971年 3月、天満屋(岡山)で個展。
4月、京都市立芸術大学美術学部陶芸科教授となる。
10-12月、12-1972年1月、京都、東京国立近代美術館での「現代の陶芸-アメリカ・カナダ・メキシコと日本」展に《頁1、2、3》3点を出品。
11月、第34回走泥社展で「本のシリーズ」を発表する。田中一光とともに、札幌での第11回冬期オリンピック冬季大会の入賞メダルのデザインを担当する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1972年 6月、伊勢丹で「八木一夫個展」を開き、本のシリーズ《頁1》《とり》《ブラック・メッセージ》などを発表する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1973年 7月、京都市立芸術大学シルクロード調査隊隊長として、パキスタン・アフガニスタン、イランに赴く。
9月2日、父、一艸が死去し、帰国。日本陶磁協会金賞を受賞する。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1974年 5月、立体ギャラリー・射手座(京都)で「八木一夫個展」を開き、黒陶による手のシリーズ《流離》《喝采のスペース》など約40点を発表する。
走泥社展-伊勢丹、天満屋(岡山)、京都市美術館。
1975年 5月、益田屋(東京・新宿)で「八木一夫花の器展」を開く。
平安画廊(京都)で「八木一夫版画展」を開き、エッチングなどを出品。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1976年 7月、宇治市炭山に開窯し、米★居、牙州窯と命名する。
8月、エッセイ集「懐中の風景」が講談社より刊行される。
9-翌年1月、東ドイツ・ロストック、ドレスデンで開かれた「日本陶磁名品展」(日本経済新聞社主催)に《信楽土管》(1966)《名月》(1969)《NO》(1972)を出品。
10月、益田屋開催の「茶陶五人展」に楽茶碗を出品。
走泥社展-京都市美術館、伊勢丹。
1978年 10月、FIAC’78(パリ画商展)に陶板「俳句シリーズ」による個展(カサハラ画廊主催、グラン・パレ)
10月、益田屋で「八木一夫鈴木治茶陶二人展」を開く。
11月、伊勢丹で還暦記念の「八木一夫展」を開き、《ザムザ氏の散歩》《盲亀》《アリサの人形》など新旧作品を対比した展示を行う。
翌年にかけて、デュッセルドルフ、ベルリン、ストゥットゥガルト巡回の「日本陶芸展」(文化庁主催)に《花をもつ少女》を出品。
走泥社展-京都市美術館・伊勢丹。
1979年 2月28日、心不全のため急逝する。
3月2日、自宅で密葬、3月10日、天龍寺慈済院で告別式を行う。
(本年譜は「八木一夫展」-京都国立近代美術館、東京国立近代美術館編、1981年-収載の年譜を一部添削し掲載した。)

出 典:『日本美術年鑑』昭和55年版(268-270頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「八木一夫」が含まれます。
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