長野垤志

没年月日:1977/07/14
分野:, (工,鋳)

鋳金家長野垤志は、7月14日乳頭腺がんのため東京北区上十条五丁目の原外科病院で死去した。享年76。本名松蔵。明治33年10月28日名古屋市東区に生れ、はじめ洋画家を志し上京した。早稲田大学附属早稲田工手学校、本郷洋画研究所に学んだ。関東大震災により同所焼失のため、これを転機に鋳金家に転じた。はじめ山本安曇に師事し、のち香取秀眞に就き作品指導のほか古美術研究の指導を受けた。帝展には美術工芸科創設の昭和2年第8回展より出品し、これには「収穫」(銀製小箱)が入選した。ついで翌3年第9回には「飛躍」(鋳銅花瓶)が、第11回「青銅水盤」、第12回「蔓付花瓶」、第13回「青銅菱形花器」が入選し、第14回「青銅方盤」では特選となった。第二次大戦終了前後5ヶ年程出品を休止したが第4回日展で審査員となり、その後もあわせ、3回に及ぶ。また日本工芸会に参加し理事、審査員などを務めた。茶の湯釜制作の第一人者で、日本古来の製造技術を生かして独特の作品を生んだ。昭和38年重要無形文化財保持者、同42年紫綬褒章を受章した。茶の湯釜のほか善光寺(愛知)、輪王寺(仙台)、極示寺(大阪)、内光寺(新潟)、薬師寺(奈良)、建長寺、(半鐘、鎌倉)ほか梵鐘の制作も多い。著書-「あしやの釜」(昭和27)、「天命の釜」(昭和29)、「あしや系の釜」(昭和32)、「茶之湯釜の見方」(昭和31年秦東書房)、「茶の湯釜」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和53年版(266-267頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「長野垤志」『日本美術年鑑』昭和53年版(266-267頁)
例)「長野垤志 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9514.html(閲覧日 2024-03-29)

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