高野松山

没年月日:1976/03/05
分野:, (工,漆)

 漆芸家、重要無形文化財保持者高野松山は、脳軟化症のため3月5日午前8時15分東京文京区の自宅で死去した。享年86。本名重人。明治22(1889)年5月2日熊本市に生まれ、京都市立美術学校描金科卒業後、大正5年東京美術学校漆工科卒業、同研究科を修了し、さらに白山松哉に師事して蒔絵を学んだ。大正8年から昭和7年まで東京美術学校漆工科講師をつとめた。昭和7年「柏・木兔之図蒔絵衝立」、翌8年「乾漆おはぐろ蜻蛉筐」で各々帝展特選、同11年「蝦模様蒔絵手箱」で新帝展推奨となり、以後文展、日展を通じて蒔絵ひとすじに活躍した。同30(1955)年重要無形文化財(人間国宝)の指定制度ができるとその第1回の指定者に選ばれ、同35年日展評議員、同37年日展参与となり、翌38年日本漆芸会会長に就任、同40年には紫綬褒章を受章するとともに、美術工芸の伝統技術を守っている工芸家に与える第1回キワニス賞を受賞、同42年勲四等瑞宝章、同49年勲三等瑞宝章を受けた。白木に蒔絵する樹地蒔絵の手法の開拓者でもあった。代表作に「獅子蒔絵色絵箱」「蛤型千鳥香盒」「乾漆竹菓子器」など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和52年版(272頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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