手塚又四郎

没年月日:1971/05/05
分野:, (学)

美術教育学の長老手塚又四郎は5月5日腎不全のため埼玉県浦和市の埼玉中央病院で死去した。享年69才であり、国際美術教育学会(INSEA)副会長、造形基礎研究所長、日本美術教育連合理事、大学美術教育会議議長、技術教育研究会長、京都教育大学および立正女子大学教授、日彫クラブ理事を兼務していた。明治36年4月24日栃木県今市市に生れる。大正12年東京青山師範学校卒。昭和3年東京高等師範学校卒、同年熊本第一師範学校教諭として美術科を担当。同8年埼玉師範学校教諭。この時期に、昭和5年より朝倉塾で研修しつつある彫塑芸術を美術教育にとり入れることを提唱したと自筆の調書にある。山形寛著「日本美術教育史」によると、それより以前に霜田静志の総合的な美術教育論が発表されており、手塚の提唱がどのような意義をもちえたかここでは確かめる余裕がないが、図画を中心とした従来の美術教育においては何らかの積極的な意味をもっていたであろうことは想像に難くない。また、文部省中等学校図画工作教科書執筆委員となる。16年東京市視学官となり図画、工作、工業を担当。21年2月東京高等師範学校教授となり、彫塑学科を創設。24年8月東京教育大学教授。27年4月山形大学教授。34年より42年京都学芸大特修美術科主任教授。昭和6年ごろより彫塑と同時に絵画の制作にも携わり、春陽会、独立展、聖徳太子奉讃展に出品。日展には彫塑を出品。この間、昭和11年には朝鮮、満州の美術視察旅行、30年、35年、39年には国際美術教育会議に日本代表として出席。38年には文部省教育職員養成審議会美術特別委員会主査なども勤めた。41年以後国際美術教育者連盟副会長。著書に「美術教育概論」(教育大学講座)金子書房、昭和25年。「新しい図画、工作」(小・中学校教科書)東京書籍、26年。「造形教育」岩崎書店、26年。「日本工作教育史」(日本教育文化史大学)金子書房、29年。「ヨーロッパの造形教育」えくらん社。「世界の美術教育」美術出版社、38年。「色彩の芸術」美術出版社33年。「バウハウスの造形基礎」「造形美術の基礎」。他に28年より日本彫塑家クラブ刊行の「彫塑」を編集した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(83-84頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「手塚又四郎」『日本美術年鑑』昭和47年版(83-84頁)
例)「手塚又四郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9483.html(閲覧日 2024-04-26)

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