佐波甫

没年月日:1971/10/31
分野:, (学)

 美術評論家、本名大沢武雄・早稲田大学教授は、3月に脳血栓で倒れ、8カ月の入院生活の後に10月31日死去した。享年69歳。明治34年11月29日東京に生れた。昭和5年早稲田大学フランス文学科卒業。実業之日本社に勤務する傍ら坂崎坦に師事してフランス17、18世紀美術を研究し、また佐波甫の筆名で美術評論活動に入る。以下の記録は朝日新聞社および美術研究所刊行の「日本美術年鑑」によるものである。おびただしい数になる展覧会批評は省略した。昭和10年、「現代美術を制約するもの」(アトリエ12-8)、「美術は如何に発展するか」(みづゑ369)、「美術批評に就て」(アトリエ12-10)、「本年の洋画壇と今後の方向」(美の国11-12)、「帝院改現と復古主義の前進」(アトリエ12-7)。昭和11年、「前衛絵画の二方向-立体主義より抽象主義へ」(美術11-5)、「フェルナン・レジェ」(みづゑ379)「市民的なプライド」(美術11-2)、「芸術精神の没落」(みづゑ381)、「日本画と近代精神-市民絵画の提唱」(美之国12-3)、「日本画を如何に考えるか」(みづゑ372)、「絵画に於ける<明るさ>」(みづゑ372)、「意識の絵画について」(みづゑ376)「名井万亀氏の作品」(アトリエ13-9)、「猪熊絃一郎と宮本三郎」(みづゑ374)、「岡田謙三」「三岸節子」「海老原喜之助」(以上、みづゑ378)、「二三の絵画現象に就て」(アトリエ13-2)、「若き作家諸君に与ふ」(美之国12-9)。昭和12年、「ヒューマニズムについて」(美之国13-1)、「日本古典への関心」(美術12-6)、「日本前衛派作家論」(アトリエ14-6)、「光風会の青年作家たち」(現代美術4-2)、「安井曾太郎の今日的意義」(みづゑ383)、「小磯良平を語る」(同391)、「北川民次君の印象」(同393)、「今日の諸問題」(アトリエ14-3)、「ジョルジュ・ブラック」(みづゑ384)、「ピカソ論、上・中・下」(同386、387、389)、「ジョルジュ・ルオー」(同387)。昭和13年、「作家と精神力」(アトリエ15-12)、「我が国芸術の調和的性格に就いて」(みづゑ396)、「絵画精神の再建」(同400)、「日本画の現段階に就て」(南画鑑賞7-12)、「統制と自由」(アトリエ15-2)、「シャルダン」(みづゑ397)、「マチャス・グリューネワルト」(同399)、「クラナッハと独逸的なもの」(同403)、「ドーミエを想ふ」(図406)。昭和14年、「歴史性へのめざめ」(美術14-8)、アラン「絵画論」(訳・みづゑ421)、「近代絵画の特質-10年間を回顧して」(美之国15-4)、「ドランについて」(みづゑ410)、「ポール・ゴーガン」(同414)、「ドカとロートレック」(アトリエ16-12)。昭和15年、「新体制下の美術批評について」(アトリエ17-2)、「吉岡堅二上村松篁」(美之国16-3)、「コンラッド・メイリ」(みづゑ424)。昭和16年、「須田国太郎」(みづゑ437)、「堂本印象」(美之国17-1)、「宮本三郎」(みづゑ436)、「戦争美術の新しい創造」(帝大学生新聞7.14)。昭和17年、「大東亜共栄圏と日本画」(国画2-3)、「仏印より帰りて」(国画2-2)、「二・三の提案」(新美術9)、「仏印の印象-図画教育その他」(「造形教育8-2)。これらの論説は国際文化振興会より派遣されてインドシナ、中国各地の美術を視察したことを示している。昭和18、19、20年「山口蓬春」(画論22)、「仏印の絵画」(新美術23)、「大東亜戦争と芸術」(国画3-1)。戦後は日本美術会結成準備を手はじめに重要な諸作家の論評を進めたことが、つぎの諸論説より明らかである。昭和21年より25年、「荻須高穂カザ・ロッサ」(解説・美術手帖11)、「井上長三郎」(アトリエ訪問、美術手帖16)、「小野竹喬」(三彩14)、「菊地契月」(同33)、「鶴岡政男論」(みづゑ524)、「徳岡神泉論」(三彩8)、「靉光の芸術」(アトリエ267)、「松本竣介」(みづゑ519)、「泰西名画展の意義」(同500)、「ラウル・デュフィ」(アトリエ272)、「シャルダン」(みづゑ498)、「フランス初期画家達」(同502)、「セザンヌを想う」(BBBB5)、「我が前衛美術について」(アトリエ262)、この間に著書「裸体デッサン」(寺田政明と共著、大同出版社)「裸体絵画」(同左)がある。
 昭和23年より向南高校で教鞭をとり評論活動を離れるようになる。25年早大第二政経学部、第二法学部の仏語講師、同28年文学部専任講師となり、西洋美術史と仏語を担当した。同29年より31年までフランスを中心にヨーロッパで美術研究を行う。31年文学部助教授、36年教授就任。この間に本名の大沢武雄の名で「セザンヌの不安」(早大文研紀要3)、「ビザンチンとルネサンスの空間」(同9)、「セザンヌの作品研究」(同13)、「ロマネスク芸術研究」(綜合世界文芸Ⅺ)、「世紀末芸術」(美術史研究5)、著書「西洋美術史」(造形社、昭和34年、46年に改訂版刊行)、G、ケペッシュ著「造形と科学の新しい風景」(美術出版社、昭和41年共訳)。昭和46年3月脳血栓で倒れ、8ケ月の入院生活ののち1月31日に死去した。恩師坂崎坦森口多里児島喜久雄板垣鷹穂外山卯三郎らの評論家に次ぐ世代に属し、戦前の前衛美術が許される時期に評論活動を始め、戦後の混乱期には、新しい作家の紹介を行った代表的な評論家の一人であった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(93-94頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
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