原田淑人

没年月日:1974/11/23
分野:, (学)

 日本学士院会員、日本考古学会々長、高松塚壁画古墳総合学術調査会々長、文学博士原田淑人は、胃潰瘍のため、11月23日東京北里病院で死去した。享年89歳。明治18年4月5日原田由己の三男として東京神田に生まれ、開成中学校、第一高等学校を経て、明治41年東京帝国大学文科大学史学科を卒業した。引続き大学院に於て東洋史学を攻究、大正2年副手、3年に講師となり、10年には考古学研究のため2年間イギリス、フランスへ留学を命じられ、欧亜の各国とアメリカを廻った。10年東京帝国大学助教授、昭和13年教授となり、21年定年退官まで東洋史及び考古学を講じ、後進の育成指導にあたった。傍々京都帝大、東北帝大、立教大学、立正大学の教壇に立ち、5年には北京大学教授として招聘された。21年に聖心女子大学教授、東洋大学教授、27年には早稲田大学大学院講師となり、半世紀余講筵に連った者は多数に及ぶ。調査活動の面では大正7年朝鮮総督府古蹟調査委員となり、慶尚南北両道、楽浪王旴墓、楽浪郡治址の発掘調査を行い、また15年京大の浜田耕作とともに東亜考古学会を創立して、日中両国の考古学者の共同研究の場を設け満州貔子窩先史遺跡、牧羊城漢代遺跡、東京城渤海龍泉府址、内蒙古の元の上都址、大同の北魏平城址、河北邯鄲趙王城址、遼陽漢代壁画古墳、山東曲阜縣城など多くの調査に携り、それらの報告書とともに、東亜考古学の進歩発展に寄与した。一方国内にあっては昭和8年重要美術品等調査委員、10年帝室博物館学芸委員兼鑑査官、14年国宝保存会委員、15年日本学術会議委員をつとめ、13年には文学博士の学位を得、18年帝国学士院会員に推され、22年の講書始儀に漢書の進講をした。22年登呂遺跡調査会顧問、正倉院評議会会員となり、またこの年以来終生日本考古学会会長の任にあった。25年文化財専門審議会委員、29年平城宮址調査委員会委員を経て、47年には高松塚装飾古墳総合学術調査会会長となるなど、一貫して日本考古学界におけるかなめとしての重責を担い、また該博な知識を駆使して東洋史、考古学、東西交流にわたる健筆を縦横に振い、後進を誘掖するところ極めて大であった。

著作目録
*自著
支那唐代の服飾 東京帝国大学 大9-8
西域発見の絵画に見えたる服飾の研究 東洋文庫 大14-6
漢六朝の服飾 東洋文庫 昭12-12
東亜古文化研究 座右宝刊行会 昭15-11
正倉院ガラス容器の研究 座右宝刊行会 昭23-12
古代ガラス 国立博物館入門叢書 小山書店 昭24-6
東亜古文化論考 吉川弘文館 昭37-4
古代人の化粧と装身具 東京創元新社 昭38-4
増補漢六朝の服飾 東洋文庫 昭42-9
唐代の服飾 東洋文庫 昭45-3
考古漫筆 郁文社 昭45-9
東亜古文化説苑
*編著、共著・解説
泉屋清賞 鏡鑑部 解説 住友家 大8
考古図譜 第1冊~第10冊 美術工芸会 昭2-11
唐宋精華 解説 山中商会 昭3-11
支那古器図攷 兵器篇 東邦文化学院 昭7-3
周漢遺宝 解説 大塚巧芸社 昭7-7
支那古器図攷 舟車馬具篇 東方文化学院 昭11-3
日本考古学入門 吉川弘文館 昭25-9
中国考古学の旅 朝日新聞社 昭32-10
正倉院のガラス 日本経済新聞社 昭40-3
*発掘調査報告書
朝鮮古蹟調査報告 大正7年度―1 朝鮮総督府 大11-3
楽浪五官塚王旴の墳墓(田沢鋙共) 刀江書院 昭5-11
楽浪土城址研究(駒井和愛共)朝鮮古蹟研究会 昭11-1
楽浪土城址の調査(駒井・高橋共)朝鮮古蹟研究会 昭13-8
東京城(駒井共) 東亜考古学会 昭14-3
上都(駒井共) 東亜考古学会 昭16-11
*論文、序文、書評、随筆等多数(略)

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(274頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「原田淑人」が含まれます。
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