鳥海青児

没年月日:1972/06/11
分野:, (洋)

 独立美術協会会員の鳥海青児(本名正夫)は6月12日午後10時20分、胸膜炎、急性肺炎のため東京、港区の虎の門病院で死去した。享年70歳。鳥海青児は中学時代から洋画をはじめ、住居に近かった関係から岸田劉生や萬鉄五郎を知り、関西大学時代から春陽会展に出品、同志と麓人社を結成して絵画勉強に励げんだ。昭和5年から昭和8年(1930~33)ヨーロッパに滞在し、その間に自らゴヤの「はるかなる亜流」と称したようにゴヤ、レンブラントの作品につよい影響をうけて個性的な作風を形成していった。昭和18年(1943)、春陽会を脱会して独立美術協会に転じ、以後、独立展の重要な作家として活躍し、昭和30年度(1955年度)の芸術選奨、文部大臣賞を受け、昭和34年(1959)には第10回毎日美術賞を受賞した。また、昭和15年(1940)ころから東洋日本の古い仏画に関心をもち、さらに古陶磁器にもつよい関心をよせ、古美術の蒐集でも知られていた。
年譜
昭和35 3月4日、鳥海力蔵、あぐりの二男三女の二男として神奈川県平塚市に生まれる。本名鳥海正夫。
昭和41 父力蔵4月27日没、平塚市立須賀小学校入学。
大正2 兄や姉の蔵書の中から田山花袋「一兵卒」国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」「夜行巡査」などを出して読んだのはこのころか。(小自叙伝)
大正3 須賀小学校卒業。
大正5 藤嶺中学(藤沢中学)第2学年に編入。
大正6 このころ小遣いで油絵具を買って油絵を描きはじめた。藤沢中学の絵画教師、金子保(文展出品作家)に指導を受けた。逗子開成中学生だった所宏を知る。
大正10 藤沢中学卒業、後輩に原精一森田勝がいた。三高受験のため芦屋の義兄平林正二郎宅に移ったが、受験に失敗して後、関西大学経済学部入学。
大正11 当時流行した姓名判断にしたがって青児と名のる。(鳥海談)
大正12 芦屋の義兄平林氏宅から関西大学に通学していたが、第1回春陽会入選発表の中に所宏(中学時代の友人)の名を見つけた。このことが刺激となって翌年から春陽会に応募することを決意した。
大正13 第2回春陽会(東京三越)に「洋女を配するの図」「平塚風景」の2点が初入選した。横堀角次郎、土屋義郎、斎藤清次郎、川端信一、鳥海青児、三岸好太郎、倉田三郎で麓人社を結成。第1回展を開催(8月1日-10日村田画房)40点陳列。「午後鳥海君来訪、8月初旬開かれる湘南展覧会の出品をうけとりに来た也。鵠沼風景を非売品として貸す」(劉生絵日記大正13年7月9日。)この年、横堀角次郎を知る。
大正14 第2回麓人社展(4月1日-6日丸善)「ポプラと洋館」出品。第3回春陽会「酒場」「山陽下松小景」「赤い橋」出品。
昭和元 関西大学経済学部卒業。岸田劉生より冬菜の画号を贈られる。このころ春陽会では10人くらいの会員に色紙をかかせて画帖を作り、会の運営資金にあてていた。第4回春陽会「果実図」「郊外之道」出品。
昭和2 第3回麓人社展開催。第5回春陽会「志摩的矢遠望」「ざくろ」出品。
昭和3 第6回春陽会「水無き川」「裸婦」「芦屋風景」出品。第6回春陽会賞受賞。この年の春陽会賞には他に岡田七蔵加山四郎が受賞。三岸好太郎、節子、鳥海青児3人展開催(10月12日-14日 札幌丸井デパート、11月1日-8日東京三越)。第4回麓人社展開催。この年札幌で6カ月生活する。
昭和4 第7回春陽会「裸婦立像」「裸婦」「北海道風景」「ポプラ」「札幌郊外」出品。「北海道風景」など第7回春陽会賞受賞。他に水谷清永瀬義郎が同会賞を受賞している。
昭和5 この年より春陽会無鑑査となる。この春、大阪にいる建築家の友人とヨーロッパ出発。最初モロゾフ・シチューキン・コレクションを見るためにモスクワに向かい、約2週間滞在。その後ベルリンにいる友人百々巳之助をたずね、同地に2カ月滞在。マルセーユへ義兄平林正二郎を迎えに出発、途中ストラスブルクとミュンヘンに寄る。マルセーユから平林氏とスイスのレマン湖に向かう。9月まで滞在してパリに入る。パリではアルジェリア占領100年記念行事の一つであったドラクロア回顧展を見てアルジェリア行を決意し、その後義兄がアルジェリアで経営する店と奥地のブリダを往復して約1年半のアルジェリア生活がはじまる。この年アルジェリアに滞在。第8回春陽会「奈良風景」「橋のある風景」「芦屋風景」「うづら」出品。
昭和6 一度パリにもどる。パリには海老原喜之助野口弥太郎森田勝などがいた。ロートレックの回顧50年展を見る。
昭和7 パリからアルジェリア、モロッコに旅し、ゴヤを見るためにモロッコ経由でスペインへ旅行、プラド美術館、トレドなどを見てパリに帰る。このとき、ゴヤのサン・アントニオ・デ・ラ・フロリダ寺院のフレスコ画とキンタ・デル・ソルド(聾の家)の壁画(プラド美術館)を見て強い衝撃を受けた。その後ゴヤがレンブラントの系譜につながることを感じてアムステルダムにレンブラントを見に行く。このころアントワープ、ブリュッセルにたびたび旅行し宮田耕三を知る。
昭和8 ヨーロッパから帰国、春陽会会員に推薦された。第11回春陽会に滞欧作23点「カスパ」(アルジェリア)「奥地小景」(アルジェリア)「アルゼリー港」「アルジェリア郊外」「ブッサダ」(アルジェリア)「アルジェリア風景」「アルジェリアの水汲み女」「闘牛」「ヴェニス」「アルゼリー街風景1」「アルゼリーの女」「砂漠のオアシス」(アルジェリア・ブッサダ)「プラス・デュ・グーベルマン」(アルジェリア)「モロッコ風景」「ブルージュの橋」(ベルギー)「ボーレンダム」(オランダ)「アルゼリー街風景」「サンマルコを望む」(ヴェニス)「奥地のスケッチ」(アルジェリア)「モロッコの夜」「闘牛」(スペイン)「アルゼリーの街角」「アルゼリア小景」出品。
昭和9 砂を絵具に混ぜて使用した作品を春陽会に出品、いわゆる日本的でない作家の一人といわれた。第12回春陽会「風景」「ノートル・ダーム・ド・パリ」「アラビア風の海と家」「水辺」「ビリエ・シエール・モーラン」「グラン・キャナル・ヴェニス」「アルジェリアの兵士」「アラビア風の家」出品。
昭和10 第13回春陽会「海辺の小屋」「小屋のある風景」「海辺」「海浜」「茅ヶ崎の海」出品。
昭和11 このころ絵が汚いと評判された。第14回春陽会「少年」「段々畠と畦」「紀南風景」「信州の畠(一)」「水田」「信州の畠(二)」「道化の顔」「男の顔」「道化の首」「道化」出品。
昭和12 このころから鳥海画風の追随者がみられるようになり、春陽会内に新たな空気を生みだしたといわれた。第15回春陽会「夏の風景」「裸体」「石橋のある風景」「裸女」「風景」「海の見える風景」「セリスト(A)」「セリスト(B)」「南薩山川港」出品。明治・大正・昭和3聖代名作美術展(朝日新聞社主催)「アラビア風の海と家」出品。
昭和13 中国(上海、南京、漢口、抗州、蘇州)に旅行、久米正雄、山田耕作、西条八十らと同行。第1回の沖縄旅行。第16回春陽会「夕色の並木と山」「道化」「並木の続く風景」「風景」「山」「高カラーの男」「水涸れた川」「並木と山」出品。
昭和14 1月15日美川きよと結婚。2度目の中国旅行北京、天津、張家口)。このころから古美術蒐集をはじめた。最初は初期肉筆浮世絵、春章の芝居絵など、浮世絵版画では清倍の立姿などがあった。第17回春陽会「蘇州風景」「塹壕のある風景」「揚子江と漢陽の街」「蘇州風景」(ピトレスク)「支那の家」「蘇州小景」出品。
昭和15 「鳥海青児油絵個展」(大阪高島屋 11月28日-12月3日)開催。「北京天壇図」「古北口長城」「張家口小景」「道化」「菊花図」「熱河普陀宗東廟」「琉球風景」「アマリリスと風景」「花図」「信州の畠」「カテドラル」「ヴェニス」「伊太利の寺院」「北京の石舫」「北京万寿山の石舫」が出品された。第18回春陽会「琉球」「沖縄小景」「琉球の墳墓」「修理のある屋根(一)」「修理のある屋根(二)」「那覇小景」「琉球の墓墳」出品。
昭和16 男鹿半島旅行、原精一遠藤典太同行。帰途、白河近くの南湖に一泊。
 第19回春陽会「長城図」「北京天壇」「北京天壇」「アカシア」「花図」「アマリリス」「アマリリス」出品。
昭和17 古美術関係では仏画、藤原鎌倉時代に興味をもちはじめた。第20回春陽会「天津の仏蘭西寺院」「男像」「張家口の家」「男鹿」出品。
昭和18 春陽会退会、独立美術協会員に推挙され、この年から独立展に出品。第13独立展「山」「だいれん木」「男像」「瀬戸風景」「だいれん木」出品。
昭和19 母あぐり(83歳)8月3日没。10月、夫人と樺太から北海道取材旅行。第14回独立展「北海道風景」出品。
昭和20 終戦を神奈川県伊勢原の農家で迎える。
昭和21 1月15日鎌倉雪の下に引越す。このころ友人のもっていた長次郎の「あやめ」の銘の茶碗を見たのがきっかけで陶器に関心を向けるようになる。第1回新興美術展(読売新聞社主催)出品者、林武里見勝蔵児島善三郎野口弥太郎鳥海青児川口軌外須田国太郎岡田謙三小林和作。この夏弘前の公会堂で夏季大学の講演をした。講師中井淳、美川きよ、神西清、佐藤正彰、鳥海青児、今日出海、一人一日4時間講演。
昭和22 第2新興美術展(東京都美術館)出品。2月ごろ小山冨士夫を訪ねた会津八一鳥海青児のデッサンをみて、どうしてもこの作家に会いたいといって鳥海宅を訪ねて歓談する。第15回独立展「田園早春」「山肌」出品。
昭和23 このころ三好達治が福井県三国から上京し、訪ねてくる。第16回独立展「静物A」「静物B」「静物C」「風景」出品。
昭和24 野口弥太郎林武里見勝蔵らが鎌倉の鳥海宅をしばしば訪ねて交歓する。第17回独立展「無花果」「南瓜と茶室」「南瓜」「南瓜と古銅」「花入」「南瓜と御茶碗」出品。
昭和25 第18回独立展「皿と二つの果物」「皿と三つの果物」「皿と四つの果物」出品。
昭和26 このころ、川端康成、神酉清、中山義秀、小林秀雄、佐藤正彰、寺田透など文学者との交際はじまる。第19回独立展「段々畠」「春の段々畠」出品。
昭和27 鎌倉から麻布に引越す。古美術は平安朝の仮名(古筆)に興味をもつようになる。第1回日本国際美術展(5月22日-6月13日 都美術館)「畠」「春の段々畠」出品。第3回秀作美術展(日本橋三越)「春の段々畠」出品。第20回独立展「静物」「飯倉風景」「畑」出品。サロン・ド・メエ展(高島屋1月10日-18日)「春の段々畠」出品。
昭和28 第21回独立展「狸穴風景」「狸穴」「畑」出品。第4回秀作美術展「春の段々畠」出品。第2回日本国際美術展「飯倉の坂」出品。
昭和29 第22回独立展「うずくまる」「川沿いの家」出品。第5回秀作美術展「狸穴風景」出品。第1回現代日本美術展「サーカスの馬(A)」「サーカスの馬(B)」出品。
昭和30 第23回独立展「紅穀塗の家」「家竝」「顔をかくす女」出品。第6回秀作美術展「川沿いの家」出品。鳥海青児展(求竜堂画廊 1月23日-28日)「砂漠のオアシス 」「瀬戸の山」「水無き川」「うづら」「セリスト」「漢口」「北京天壇」「北海道風景」「牡丹」「段々畠」など戦前作品21点出品。東京画廊では戦後作品「いちじく」「段々畠」「川沿いの家」「うづくまる」「狸穴風景」「壷と南瓜」など12点出品。
昭和31 「顔をかくす女」「家竝」にて第6回文部大臣賞受賞。芸術選奨受賞。文部大臣賞受賞記念展(大阪梅田画廊)。第24回独立展(創立25周年記念)「彫刻(白)をつくる(A)」「黄色い人」「彫刻(黒)をつくる(B)」出品。第7回秀作美術展「顔をかくす女」出品。第2回現代日本美術展「粉挽き」出品。
昭和32 第8回秀作美術展「彫刻(黒)をつくる(B)」。第4回サンパウロ・ビエンナーレ展に「彫刻(黒)をつくる」「琉球風景」「山」「かぼちゃ」「春の段々畠」「狸穴風景」「川沿いの家」「うずくまる」「家竝」「顔をかくす女」出品。出品作のうち「かぼちゃ」がニューヨーク近代美術館買上げとなる。4月20日第2回のヨーロッパ旅行に出発。フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スペイン、イタリアを回り10月帰国、原精一同行。現代美術10年の傑作展(東横デパート)「川沿いの家」出品。第4回日本国際美術展「伊賀瓶子とメロン」出品。
昭和33 第3回現代日本美術展「武装した馬」ピカドール「ピカドール」出品。最優秀賞受賞。 鳥海青児滞欧素描展(東京松屋、大阪高島屋)開催。4月から11月にかけて、2週間東ドイツ、スペイン40日、7月末から10日間ベルギー、オランダ、8月末から40日間イタリアを旅行。この年2度目の沖縄旅行。坂本繁二郎鳥海青児二人展10月開催(草人社主催、大阪阪急、東京松屋)「黄色い人」「石をかつぐ」「壷とかぼちゃ」「静物」「埴輪」など7点出品。第26回独立展「石を運ぶ」「イタリア人の石を運ぶ」出品。
昭和34 第10回毎日美術賞受賞。鳥海青児作品展(8月1日-11日 丸善美術主催、阪神百貨店)、油彩60点、素描10点、日本画2点陳列。鳥海青児野口弥太郎展(11月1日-12月3日 神奈川県立近代美術館主催)98点陳列。12月30日約3カ月間のエジプト、イラク、イラン、インド旅行に出発、佐藤正彰同行。第27回独立展「壁の修理」「家の修理」出品。第10回秀作美術展「武装した馬」出品。戦後の秀作展(国立近代美術館)「ピカドール」出品。第5回日本国際美術展「ブラインドを降ろす男」出品。
昭和35 第11回選抜秀作美術展「ブラインドを降ろす男」出品。インド旅行から帰国後、京都で「スフィンクス」の制作(80号、60号、40号)に3カ月取り組み、休養する間もなくアフリカ、中南米旅行に小野忠弘三木淳と出発、帰途ハワイ、タヒチにより翌年4月帰国。第28回独立展「スフィンクス」「埃扱人」出品。鳥海青児素描展「エジプト、中近東・インドの旅より」(11月1日-12日 南天子画廊)。
昭和36 第12回秀作美術展「スフィンクス」出品。アメリカ、中南米へ3カ月旅行、4月に帰国、前年来からの旅の過労から体をこわす。第29回独立展「石の街」「インカの街」出品。
昭和37 第13回秀作美術展「石の街」出品。第7回名作シリーズ(朝日新聞社主催)として「鳥海青児自選展」開催(10月12日-21日 東京松屋)77点陳列。第30回独立展「石だたみ」(印度ベナレス)出品。第5回現代日本美術展「メキシコの西瓜」出品。国際形象展「メキシコ風の西瓜」出品。
昭和38 第14回秀作美術展「石だたみ」出品。このころから古美術では墨蹟(大燈国師の書など)に興味を持つ。飯倉の家を改築。6月中国旅行(北京、延安)。第31回独立展「ベナレス」出品。国際形象展「石だたみ」出品。
昭和39 第15回秀作美術展「石だたみ」出品。ブリヂストン美術館で鳥海青児の記録映画作成。第32回独立展「昼寝」出品。第6回現代美術展「果汁を吸うマヤ人」出品。
昭和40 健康すぐれず。第33回独立展「北京」出品。油絵の100年展(読売新聞社、報知新聞社主催)「ピカドール」出品。
昭和41 この年病気がち、低血圧に悩む。鳥海青児回顧展開催(7月23日-9月4日神奈川県立近代美術館)油彩153点、水彩55点陳列。第34回独立展「メキシコ人」出品。
昭和42 第35回独立展「木惢の出た法隆寺塑像」出品。国際形象展「木惢塑像」出品。
昭和43 第36回独立展「素朴な静物」「土器」出品。第8回現代日本美術展「中国風景」出品。国際形象展「静物」出品。「鳥海青児展」開催(いとう画廊 11月18日-30日)24点陳列。この年小説新潮の表紙を12カ月描く。
昭和44 第37回独立展「メキシコ人の家族」出品。国際形象展「とうもろこし」出品。
昭和45 第38回独立展「石像」出品。第9回現代日本美術展(現代美術20年の代表)「ピカドール」出品。国際形象展「石像」出品。日本の巨匠二十人展(大阪・大丸)「石をかつぐ」「石だたみ」「果汁を吸う」「素朴な静物」出品。
昭和46 画業50年記念「鳥海青児展」開催。(6月3日-8日 毎日新聞社主催、大阪梅田・阪神百貨店)油彩94点。陳列(10月5日-25日 毎日新聞社主催、東京セントラル美術館)油彩118点陳列。第39回独立展「瓶子」「瓶子A」出品。
昭和47 6月11日、死去する。第40回独立展「沖縄」「きじ」出品される。
〔本年譜は毎日新聞社主催鳥海青児展(東京セントラル美術館)作品目録所収の佐々木静一編の年譜より転載、若干追加した〕

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(77-80頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「鳥海青児」が含まれます。
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