佐川敏子

没年月日:1973/03/17
分野:, (洋)

独立美術協会会員の女流画家佐川敏子は、乳ガンのため3月17日午後、東京・千代田区の宮内庁病院で死去した。享年70歳であった。佐川は旧姓で本名中間敏子、同じ独立美術協会会員で武蔵美大教授中間冊夫の妻であった。佐川は、明治35年(1902)10月3日、東京牛込区に生れている。父佐川栄次郎は地質学者であった。幼年時代を本郷で過し、誠之小学校に入り、のち仙台に移り、再び東京に帰ってお茶の水高等女学校をへて大正12年3月東京女子大学国文科を卒業した。初め日本画を椎塚蕉華に学んだが、1930年協会洋画研究所に通って洋画をはじめ、1930年協会展に出品した。昭和6年、独立美術協会第1回展から出品、以後、毎年出品し、その間に中間冊夫と結婚、一子荘介をもうけている。昭和14年第9回独立美術展に「樹海」「山峡」を出品して独立美術協会賞をうけ、昭和16年同会友に推された。戦後も同会に作品を発表、昭和24年会員に推挙された。独立展発足当初から唯一の女流作家で、初期の静物や風景からしだいに身辺の樹木や鳥などの親密感にあふれた主題に内省的で深みのある作風をみせてきた。
作品略年譜(独立展出品作)
昭和6年(1931)・静物 同7年・駒込風景、卵のある静物 同8年・ウクレレ、樹 同9年・名膏、梳る女、窓辺静物 同10年・風景と少女、静物 同11年・姉妹、夜の裸婦 同12年・砂地、女達 同13年・岩に倚る、女達 同14年・樹海、山峡 同16年・庭の雑草、高原に春来る 同17年・樹々、切通し 同18年・丘、森の下草 同19年・桃、森の下草 同22年・習作 同24年・石庭、樹と石 同25年・欅の庭、窓外、学院 同26年・厨房静物、窓 同27年・夜明け、ユリウス、壺 同28年・レモン絞り、画架、ストーブ 同29年・白い家、月夜 同30年・白い鳥、夜の鳥 同31年・少女と鳥、眠る踊子、裸婦 同32年・女、うづくまる女 同33年・白い鳥、鳥は夜とぶ 同34年・北方の鳥、山の風 同35年・けやき、日没けやき 同36年・月と鳥、日没けやき 同37年・雲と鳥、風の中の樹 同38年・冬の日、裸木 同39年・朝やけ、暮れてくる山

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(241頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「佐川敏子」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(241頁)
例)「佐川敏子 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9393.html(閲覧日 2024-04-19)
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