足立源一郎

没年月日:1973/03/31
分野:, (洋)

 春陽会会員、日本山岳協会会員であった洋画家の足立源一郎は、3月31日午前1時45分、胃ガンと老衰のため鎌倉市の自宅で死去した。享年83歳であった。足立源一郎は、明治22年(1880)7月8日、大阪市、南船場の一角にある石油商の家に生れた。父弥助、母浅野。明治37年第一高等小学校を卒業すると道修町の絵具屋(薬種問屋か?)に丁稚奉公にだされたが、翌年父の急死にあい、その年京都市美術工芸学校に入学した。明治39年、京都岡崎に関西美術院が開設され、それにも出席し浅井忠、鹿子木孟郎らの指導をうける。明治40年には上京して太平洋画会研究所に入り、柚木久太のすすめで大正3年(1914)渡欧し、パリにあってグラン・ショミエール、アカデミー・ランソンに通う。第1次世界大戦に遭遇するがリヨンや南仏に難をさけ、大正7年(1918)ロンドンを発って帰国した。ロンドン滞在中には松方コレクションの蒐集に尽力している。帰国後は、院展洋画部に出品して同人となり、さらに春陽会創立に参加、以後終始、春陽会展を中心に作品を発表したが、大正12-15(1923-26)第二回滞欧、昭和11年(1936)日本山岳画協会創立、同13年、14年、15年と毎年、中国、旧満州、朝鮮に写生旅行、同19年にも中国、朝鮮に旅行した。日本国内も各地に写生旅行し、後半期は山岳風景の画家として知られた。

略年譜
明治22年(1889) 7月8日父弥助、母浅野の四男として大阪に生る。
明治28年 足立弥助願念寺本堂に須弥壇寄進
明治32年 大阪市立久宝小学校より東区立第一高等小学校に進む。
明治37年 第一高等小学校を卒業し絵具屋に奉公す。
明治38年 1月12日、弥助死亡。4月、京都市美術工芸学校入学。11月、褒状二等「洋食器」。秋期修学旅行で伊勢方面に行く。同輩に奥村林暁、加井民次郎など。
明治39年 3月2日、京都岡崎に関西美術院開設、そちらにも出席、先輩に安井曾太郎、梅原良三郎など。同輩に黒田重太郎など。夏、富士山に登り箱根、伊豆を巡る。垂水海岸に滞在。明治38-39年、京都市美工校の写生、採点あるもの20数点あり。
明治40年 殆んど関西美術院に移る。12月16日、浅井忠没。明治39年、40年の京都及び大阪の鉛筆デッサン多数。
明治41年 上京し太平洋画会研究所に学ぶ。
明治42年 徴兵検査の為大阪へ還る。同行奥村。中仙道をへて伊香保、安中、妙義を訪れ、木曾街道をたどる。明治41年-大正3年の間の消息殆んど不明。白馬会研究所や美校にも研究に通った。九段の暁星へフランス語及び会話の勉強に通う。この間の友人に奥瀬英三金山平三柚木久太、大久保作二郎、若山為三鍋井克之等がある。房州、箱根、伊豆半島、伊豆七島、高野山、紀州、瀬戸内海等へ足を運んだ。
大正3年 柚木久太金山平三らのすすめにより柚木久太をたよって渡仏する。4月、パリ着、ホテル・オデッサに泊まる。後シテ・ファルギェールに移る。グラン・ショミエール、アカデミー・ランソンなどに学ぶ。オーヴェル・シュール・オワーズにガッシェを尋ねる。ベルリッツに通いノイローゼ気味となり、プルターニュへ旅行する。フイニステル地方に迄足を伸ばし、モエラン、ケルゴエ、ル・プールデユを訪れる。7月28日、第1次欧州戦争始まる。8月上旬、リモージュへ疎開する。島崎藤村、柚木、金山、正宗得三郎と同行。2週間で帰国の為リヨンへ向う。10月11日、……リオンの足立より手紙にも絵具を注文あり……(『懐中日記』、川島理一郎)、11月、パリへ戻る。
大正4年 パリ滞在。7月、ブルターニュへ行く。パンポール、イル・ブレア等。森田恒友同行。鹿子木孟郎渡仏。
大正5年 4月11日、願念寺鐘楼献堂供養。春、サヴォアに写生行。夏、チュルサックに滞在。コント・フルールの城館に泊る。プレ・イストリックの遺跡研究に過す。
大正6年 1月、黒田重太郎パリ着。2月上旬、イタリア旅行に発つ。2月17日、サヴォアよりトリノへ。2月18日、トリノよりジェノヴァ着。3月8日、アマルフイ。3月17日、ペスタムにギリシア遺跡を訪う。3月18日、ナポリ滞在1週間目となる。3月18日、ローマ着。3月20日、アツシジ。3月21日、ペルージヤ。3月22日~25日。フィレンツェ滞在。4月3日、再びローマよりナポリへ。5月上旬、ニースを経てパリへ戻る。
大正7年 4月、帰国の為ロンドンに向う。同行黒田重太郎。ロンドンで船待ち中に赤沼智善、山辺視学を知る。第1次松方コレクションの選択にたづさわる。5月中旬、ロンドンを発ちプリマスに向う。6月15日頃、船団出港。ケープ・タウン、マダガスカル経由日本へ向かう。因幡丸、8月20日上海に向け香港を発つ。
大正8年 春、奈良へ移る。第1日曜写生会始まる。4~5月、第1回自由展覧会、於大阪天王寺美術館。主な出品者、浜田葆光、赤松鱗作、住田良三、普門暁、古谷新、藤堂杢三郎、林重義向井潤吉、鶴丸梅太郎、小沢、安田、青木大乗、岩佐なら、他。9月12日~19日第6回日本美術院展出品、計20点。青き眼の女、アルプ・マリチームの風景、ニース郊外、ひじを突く女、登り道、チューリップ、風景、ブロドウス、ナチュールモルト、眼を粧う女、カーニュの村、冬の午前、アプレミディ、カーニュの冬、アルプ・マリチーム、女の習作、ビーボアン、オリビエの村、画家像、イルルブレアの夏。9月、足立源一郎を挙げて同人となす。(日本美術院)
大正9年 7月17日~19日、足立源一郎小品展、大阪資生堂階上にて。ベトイユの春、村、セーヌ河岸、ムードンの冬、アブニュー・ド・ブルトゥイ、コロンブの運河、ポン・ヌーフ、サヴォアの夏、郵便局、モンマルトル、サンクルーの秋、パリ南郊の秋、ヴェルサイユの庭、春秋(ブルターニュ)サンクロア村、地中海岸、クアルチエ・オートイユ、プラス・ド・ラ・コンコルド、ドルドーニュ、トリノの冬、アルノ河岸、アルバノ村、アルバノ湖、カステル・サンテルモ(ナポリ)、ソレント街道、プラツア・サンタ・カテリナ、オリーブ園、カーニュ早春、静物、奈良。9月1~29日、第7回日本美術院展。首里早春、日盛り、静物、画家像、真玉橋、カクス・ノアール、佐渡山殿内、アトリエの午後、沖縄風景、南島冬雨、ポロネーズ、画家像。同年、徳川頼寧婦人像、静物(ケシ)他。「三代家死没の巴里美術界」(中央美術9月号)。
大正10年 翻訳『ドオミエ』(日本美術学院)。翻訳「クロード・モネを訪う」マルセル・ペイ。(中央美術6月号)
大正11年 1月14日、春陽会創立初顔合せ。於本郷燕楽軒、小杉未醒、森田恒友、長谷川昇山本鼎倉田白羊足立源一郎、梅原良三郎以上会員、岸田劉生、萬鉄五郎、木村荘八中川一政椿貞雄、今関啓二、石井鶴三、山崎省三、以上会友。11月、農商務省、並に文部省、欧州工芸視察練習生。同年、那智枝と結婚(旧姓安本)。翻訳「オーエル時代のセザンヌ」、「巴里に於けるセザンヌとの交遊」、「セザンヌが画家になる迄」。ギュスターブ・コキオ著、(中央美術)。著書、『人物画を描く人へ』(日本美術学院)。
大正12年 2月16日、農民美術基金集めに山本を同道し岸本吉左衛門を訪問。2月、神戸解纜、第2回渡仏。4月、パリ着、ソメラールのパンションに入る。後ヴィラ・デ・カメリヤへ移る。5月4~27日、春陽会第1回絵画展覧会於竹の台陳列館。静物(けし)、母の像、静物(さざんか)、あねもねの花、高畑の冬、風景。9月、東欧の農民美術調査の途次ウィーンにて関東大震災を知りパリへ戻る。同行岸本彦衛。12月~24年2月、クロ・ド・カーニュに避寒。12月24日、クロ・ド・カーニュ。古美術行脚『大和』刊行。辰巳利文、小島貞三著、アルス刊。
大正13年 春、ルーブル美術館にて「キリスト降誕」ルイニ作模写、3ヶ月を要す。アトリエにて裸婦其の他。12月~25年春イタリア旅行。10月25日、グリンデルワルト。パテ・ベビー1式購入、製作は昭和9年頃迄続いた。
大正14年 3月7~29日、第3回陽春会展、裸体。人物。夏、帰国。10月頃、九科会発足。著書『ルウッソオ』アルス刊。ヴアン・エイク以前のアギニヨン派絵画、(アトリエ 1~3月号)。
大正15年 2月16~3月20日、春陽会第4回展、闘牛の男、浴後、ブルターニュ風景、水辺の女。5月13日、母浅野死亡。著書他、『ポンペイ壁画集』アトリエ社。「ぽーる・フエルジナン・ガッシュ」(アトリエ 1~5月号)。
昭和2年 正月、東京府下荏原郡へ移る。春より自由学園へ美術の講義にゆき始む。意匠部を指導23年迄つづく。4月22日~5月15日、春陽会第5回展覧会、於東京府美術館。奈良の雪、夏の草花、うゐーとみもざ、けし、雑草とひなげし。『世界美術全集』委員 平凡社刊 昭和5年迄。
昭和3年 4月27日~5月14日、春陽会第6回展。奈良新緑、春日山。この年房州へ写生行?、著書『現代西欧図案集』宝文館。
昭和4年 4月27日~5月15日、春陽会第7回展。尾瀬沼小品(1)、(2)、肖像、会津燧岳、御宿風景。陽春会事務局を小杉方より移す。自由学園第7回美術展。第1回工芸展。風俗人形、臘染、手織等指導。
昭和5年 4月23日~5月14日、春陽会第8回展、焼嶽、穂高嶽新雪、上高地初秋、窓辺、時雨、秋霽れ、秋の朝、小梨平初夏、上高知初夏、五月雨るる穂高。4月自由学園創立十周年記念美術工芸展の準備のため、ニュージーランド文様及び高山植物をテーマとして生徒の制作を指導。この年劔岳、他。
昭和6年 4月11日~5月3日、春陽会第9回展。八ヶ嶽遠望、甲斐路の春(1)、(2)、穂高残雪、五月雨、常念小舎より、新緑。第1回新興美術展(企画実施)於大阪。自由学園工芸研究所設立。現在(昭和49年)に致る迄不変の需要ある「コルクの積木」は足立の発案、煉瓦をモデュールとした寸法である。この年家形山スキー行他。著書『技法研究洋画基礎』宝文館。『自由学園工芸図案集』自由学園工芸部。『技法研究風景』宝文館。
昭和7年 春陽会第10回展。雨後の高瀬入、白馬嶽遠望、針の木遠望、雪景、高原散策、曙、仙丈岳、初秋の劔嶽、仙水峠の春。5月、尾瀬沼行、森田が国立公園協会(内務省管轄)の依頼で尾瀬沼を描くことになり同行した。夏、大東京市発足により東京市大森区となる。この年乗鞍嶽写生行、他。著書、セザンヌ大画集第2巻『人物』アトリエ社。「山の写生『山岳講座』第5巻255~315頁、共立出版。
昭和8年 春陽会第11回展。ばら(一)、(二)、飛騨の秋、会津燧岳、尾瀬沼解氷、春、解氷期の南アルプス縦走。七月、北海道行き。秋、自由学園第1回工芸展、於大阪三越。足立の指導により1年の準備期間をかけて開催されたが、入場者は2万人を越した。
昭和9年 4月、自由学園工芸研究展、於三越本店。4月22日~5月13日、春陽会第12回展。後立山の春、花、白馬連峰。6月、日本山岳会々員となる。推薦者、茨木猪之吉、中原万次郎。後、陶器に依る日本山岳会の略章をデザインす(現行)。6月12日~17日、山の絵展覧会、於日本橋高島美術部。針の木岳遠望、湖畔新緑等、計60点。7月上旬、西黒沢、白鷺の池、写生行。7月24日~29日、乗鞍岳写生行。8月13日~22日、水昌小屋中心に写生行。9月12日、この近辺奧穂高岳写生行。10月27日~30日、裏妙義写生行。11月、自由学園工芸研究所第2回工芸展。於東京・大阪三越。12月4日~9日、高山より乗鞍岳写生行。同行藤木九三。右以外、冬期五色温泉、冬期雲竜峡(日光)、菅平(自由学園O・Bと共に)ら写生行。
昭和10年 4月28日~5月20日、春陽会第13回展。鳥帽子嶽、石楠花、西鎌尾根、F氏像、東沢の夕。六月。日光湯の湖近辺写生行。他に乗鞍岳、甲州、劔嶽写生行。
昭和11年 3月、日本山岳画協創立。A・A・A(Association des Artistes Alpins)。会員、足立源一郎茨木猪之吉石井鶴三丸山晩霞、中村清太郎。4月。春陽会第14回展覧会。甲斐駒ヶ嶽。 劔嶽三趣(朝・昼・夕)、甲斐ヶ根の春。3月16日~5月17日、神戸商大山岳部に同行して台湾写生行。3月16日、神戸解纜。20日、台北。21日、東勢。22日、対劔美角、烏来。23日、ビスタン社・サラマオ峠。24日、シカヨウ社。25日、ヒマナン路26日、マクラハ渓。27日、ガンテリエ。28日、キレットイ、インタシンバジン。29日、南湖連峰幕営。30日、スムツタ。4月5日、ヤボラン断崖、プスラユ尾根。7日、大覇尖山の肩。8日、上テンシピヤナン鞍部。12日、土湯温泉。13日、羅東。15日、ラジオ放送「美化山東」。20日、新高山北峯。21日、日月潭。5月6日、漢水。16日、台南赤嶺楼泊。17日、平安。6月中旬~下旬、土佐、高松写生行。8~9月、阪大理工学部の為壁画2面。助手、佐藤他1名、目白、自由学園講堂にて製作。10月23日~26日頃、日本山岳画協会第1回旅行。木曾福島、藪原、小木曽、境峠、野麦峠。同行者、石井鶴三茨木猪之吉、中村清太郎、計4名。他に乗鞍岳、志賀高原、上越、蔵王等写生行。
昭和12年 4月11日~5月4日、春陽会第15回展覧会。霧巻くヤボラン山。春の新高南山。★萊主連峯、台北の娘、新高山主峯、南湖大山の朝、大覇尖山、新高山。次高山の北端。7月17日~月末、利尻島、礼文島、写生行。夏、小画室を箱根に設く。9月下旬、日光(小米平、曲り廊下入口、赤薙)写生行。10月25日~11月13日、阿蘇、霧島、雲仙写生行。11月25日、足立の指導による自由学園工芸研究所作品、布地15種、パリ万国博にて受賞。金牌、「山と波」タピスリ。他に銀牌、銅牌。穂高、志賀高原、霧ヶ峰、妙高、蔵王等、写生行。12月26日~1月7日、北海道スキー写生行。鯉川温泉→ニセコアンヌプリ→土狩→札幌→北見→上富良野→十勝吹上温泉→泥流→帰京。
昭和13年 4月9~27日、春陽会第16回展覧会。雪の朝(十勝岳麓)、春畫、乗鞍岳と木曾御嶽、かぐろへる穂高。5月下旬→8月上旬、朝鮮北支写生行。5月19日、春陽会大阪展3日目、朝出発、夜9時興安丸乗船。20日、慶州。21日、金夷信墓、鮑石亭、他。22日、北州河原。23日、仏国寺。24日、慶州、夜京城に向う。27日、京城発内金剛に向う。28日、摩訶衍。29日、迦葉洞。30日、玉女峯。31日、朝陽瀑。6月2日、昆廬峯。3日、動石洞。4日、神渓寺より温井里。5日、極楽峴。6日、薬柳相。7日、海金剛より京域。19日、羽仁もと子より北京生活学校について相談をうけ、北京行を依頼され承諾する。20日、水原。7月3日迄京城。7月17日、奉天、北陵其の他。19日、北京・天壇、北海公園。22日、大同日之出屋泊、雲崗鎮。24日厚和。26日、北京南海公園。8月2日迄北京にて生活学校指導。9月28日。夜大阪発。30日、小倉、夜興安丸乗船。10月4日、正陽寺。10月5日、弥勒峯、中内院、温井里。5日以後海金剛。17日、関城。11月上旬帰京。12月20日頃八ヶ岳山麓写生行。12月27日~1月3日、蔵王高湯写生行。同行袋一平。他に志賀高原、上越、信夫高湯方面等、写生行。
昭和14年 4月23日~5月14日、春陽会第17回展覧会。谷川岳カタズミ尾根、市の倉沢、大同石仏第20窟、大同石仏第17窟、大同石仏第3窟、大同石仏第20窟、大同石仏寺、夏の北京。4月、倉田白羊追悼講演会、並に遺作展に出席、信州上田。4月24日~7月下旬、満州北支写生行。4月24日夜東京発、滞阪。28日、のぞみにて京城着、半島ホテル。29日、茨木猪之吉に会う。30日、李王職美術館。午後発、5月1日、奉天。2日、鞍山。4日、遼陽。5日、海城。7日、廟台無量観に泊。8日龍泉寺。20日、ハトにて新京へ。21日、吉林。24日迄吉林。25日、新京経由哈爾賓へ。30日迄哈爾賓。28日、泉靖一他1名の慰問に当る。29日、山下一夫、西島と太陽島に遊ぶ。6月3日迄佳木斯。3日、牡丹江着。4日、綏芬河、立上秀二に会う。愛河にて下車、小杉二郎(放庵二男)を井上芳部隊に慰問。5日、ハルピンに戻る。6日、哈爾賓を発つ。17日~19日、承徳。21日、古北口站。23日~26日、北京。27日、青竜橋。28日~9日、大同。7月1日、張家口。下旬帰京。日時不詳。乗鞍岳、八ヶ岳、甲州、上高地、安曇野、野尻湖、尾瀬沼等写生行。足立の指導に依り自由学園工芸研究所が1年掛りでニューヨーク・サンフランシスコ万国博のため制作した壁掛、希望の曙を現す「東亜の黎明」はニューヨーク市の永久保存品に指定された。12月28日~1月5日、大島式根島写生行。日時不詳。3月中旬、遠見尾根より五竜岳、拇池、八方尾根、志賀草津、他写生行。著書『山に描く』古今書院。
昭和15年 4月8日~17日、春陽会第18回展覧会、北京風景(北海公園)、北京好日、春の五竜岳。5月2日~6日、山嶽画展、銀座、青樹社。上高地新秋、朝霧、他計24点。8月5日~9日、山嶽画展。大阪・東・道修町青樹社支店。甲斐駒岳、小梨咲く上高地、他計15点。8月31日~10月中旬、満州写生行。8月31日、神戸より扶桑丸乗船。9月3日、大連着。5日、鞍山着、箱崎、津田治七。6日、奉天、ヤマトホテル泊。7日、「大陸」にて錦県着。8日、北鎮。11日、北鎮発医巫閭山。12日閭山。14日、金州城。15日、東京城、義県、鏡泊湖。11月下旬、赤城、榛名写生行。秋、第4回文部省美術展覧会。紀元2600年記念に聖峯試練を出品。日時不詳。蔵王、大和路他。自由学園工芸研究所、作品を輸出工芸新興展に出品。織物ベットカバー、1等賞、和紙★纈染、3等賞。著書『人物画の描き方』崇文堂。此の年文部省買上げ作品あり。
昭和16年 1月20日頃、蔵王写生行。4月12日~25日、春陽会第19回展覧会。穂高3題(冬、初冬、新秋)、蔵王樹氷。4月下旬、庄内、羽前写生行。5月下旬、岩木山近辺写生行。6月上旬。千曲川水源方面写生。6月20日~24日、八甲田方面写生行。象潟鳥海山、等。7月6日~9日、山嶽画展覧会。日動画廊。槍穂高遠望20号、蔵王山の樹氷8号、穂高新緑15号、他計28点。7月下旬、紀伊写生行、大台ヶ原、有田、保田。8月5日~9日、8月5日、甲府にて清沢久吾に会う。6日、喜多恒雄を迎え夜叉神峠へ。8日、北岳頂上。9日、夜帰京。11月、7日(樽で手に入るのはこれが最後と思われるので)、太平山を山本の仲介で皆で飲む会。幹事、山本・足立、案内先、石井柏亭長谷川昇青山義雄中川紀元中村研一、中山魏、『山本鼎の手紙』380頁。11月9日、那智、南紀写生行。日時不詳、蔵王、朝日磐梯、甲州、上越へ写生行。
昭和17年 1月17日前後、甲斐、佐久往還写生。2月、土佐写生行。3月中旬~4月中旬、内金剛、外金剛写生行。4月、春陽会第20回展覧会。吾妻高原、会津駒ヶ嶽、甲斐路早春、7月23日~8月7日、白頭山行。11月7~11日、第2回油絵山嶽展覧会、日動画廊、嶽麓初夏(吉田)15号、志賀高原の秋12号、他計35点。
昭和18年 1月17日~23日、近作油絵展覧会。大阪・三越。霞む集仙峯、初夏の青木湖、他計20点。4月18日、春陽会第21回展覧会。粉雪降る丸池、霞む集仙峯、志賀高原笠ヶ嶽。4月、山本鼎春陽会に戻る。足立仲介。10月16日~20日、第6回文部省美術展覧会。委員、審査員、★巌霧湧出品。日時不詳、写生行。上高地穂高、甲斐路。
昭和19年 3月24日、蘇州(26日迄)、夜水谷清、井出、大鹿。3月26日、上海へ戻る。4月9日、華翔号にて舟山列島に向う。10日、定海。11日、東嶽廟。12日、定海・中和里。13日、鎮家門。14日、普陀山島短姑街頭。15日、定海に戻る。16日、普陀山。17日、帰途。18日、朝上海。21日宜興。22日、十里長山。28日、蘇州。29日、常熟。5月6日、棲霞寺。7日、蕪湖、巣県。8日、巣県、合肥。10日、爐橋鎮。12日嘉善。4月7日~18日、春陽会第22回展覧会。出品作品無し。7月25日~8月19日、穂高写生行。7月25日、西穂独標。8月2日、前穂高岳。8月5日、西穂高岳。8月16日、西穂山荘。8月19日、ジヤンダルム。9月9日~10月下旬、北支行。9月9日、東京発。10日、下関ホテル泊、バスなし。11日、前7時、興安丸乗船、18時釜山着。12日、8時京城通過、18時鴨緑江。13日、13時05分、奉天通過、15時山海関、24時00分、北京着。勝直義、徳光出迎。14日~10月下旬、北京。15日、生活学校に羽仁氏を尋ぬ。16日、瑠璃廠同古堂にて斎白石に印を依頼。17日、三菱大倉と孔子廟、★和宮、等東北隅を巡る。21日防空演習ある由にて、在室作画。22日、徳光、一氏、王石之に会う。24日、中海公園の新聞学院、楠恭。25日、展覧会目録原稿を一氏へ、楠に会う。25日、飯山より鄭文公下碑拓本を求む。北京空襲。27日、大陸画報打合せ。10月5日~7日、北京飯店6階別室にて個展。12日、斎白石刻印出来。18日、羅城巡り。19日、広梁門。11日、帰国。著書『ヴアン・ゴッホ』アトリエ社。
昭和20年 2月、箱根へ疎開。4月15日、空襲にて田園調布のアトリエ焼亡。パリ時代より戦時中に制作した一切の画布、スケッチ類、書籍を失う。春、箱根植物のデッサン。秋、別府、大分、臼杵方面。
昭和21年 4月28日、水郷写生行。5月29日~6月6日、春陽会第23回展。作品なく出品せず。7月8日、上高地槍、穂高、写生行約10日。10月下旬から11月上旬、大和、紀伊方面。10月24日、有田、保田。26日~29日、熊野。27日、静。11月4日、中ノ坊(当麻)。日時不詳、第1回国民体育大会ポスター原画(油彩)。
昭和22年 2月24日~3月7日、春陽会第24回展。槍ヶ岳二題、(霧、日暈)。3日~5日、北九州行。3月19日、小田原より上京、交通会社専門委員に出席、石川一郎、中村研一他に会う。夜行にて門司に向う。21日、門司着。22日、小倉にて月原俊二。4月5日~6日、和布刈。11日~18日、若松、下関。22日~5日福岡岩田屋にて個展。5月7日~10日、小倉市井筒屋にて個展、九重山4点、関門風景5点、信州山岳風景13点、富士2点、九州岳連、九州タイムズ。5月4日、講演会「近代美術の傾向」主催門司市基督教青年会。5月15日、由布院。7月、上高地、槍、穂高写生行。9月下旬~11月上旬、九州、屋久島方面。9月24日、九重、10月16日~28日、屋久島。11月16日、別府、阿蘇、竹田。日時不詳、梅雨明け頃?野麦峠、境峠、同行者、石井鶴三茨木猪之吉、中村清太郎、計4名。
昭和23年 3月31日~4月13日、春陽会第25会展。北鎌尾根の槍ヶ嶽。5月、唐津、菊地、鉾立峠、臼杵。6月7日、涸沢、穂高方面。10月11日、第3回国民体育大会記念九重登山を兼ね九州行、別府、九重、臼杵、耶馬渓他。日時不詳、八甲田山、十和田湖、志賀高原。
昭和24年 3月15日~21日、加治木、霧島、高千穂。4月2日~7日、鹿児島桜島。4月1日~16日、春陽会第26回展覧会。或る朝の槍ヶ岳。7月8日、日本山岳画協会再出発打合せ会。連絡事務所、東京都大田区、日本山岳画協会仮事務所。通知発送先、足立源一郎石川滋彦高田誠石井鶴三宮坂勝上田哲農、河越虎之進、中村清太郎、山川勇一郎、加藤水城、中村善策、山下品蔵、春日部たすく、奥田脩太郎、吉田博。7月上旬~8月上旬、横尾、涸沢、奧穂(重太郎小舎中心)。日時不詳、草津、志賀高原、上越、蔵王、乗鞍他。
昭和25年 4月10日~26日、春陽会第27回展覧会。前穂高北尾根、北穂高岳南峰、横手山。5月、長崎滞在。夏、槍穂高。9月下旬~11月中旬、雲仙、長崎(附近)別府臼杵、邪馬渓。日時不詳、志賀高原、劔嶽立山、他。著書『山に描く』(再版)古今書院。
昭和26年 春陽会第28回展覧会。朝の劔嶽。4月、湯檜曾、谷川岳。5月、谷川岳、天神小屋、12日、田尻尾根。夏奥穂高岳。日時不詳、劔立山、後立山。
昭和27年 3月箱根。3月下旬、穴山、韮崎。4月18日~5月4日、春陽会第29回展覧会。劔嶽八ヶ峯、穂高滝谷の断壁(県立近代美術館蔵)、北穂高嶽南峯、5月、秩父、三峠。7日~8日、西穂高岳と奥穂高岳。9月中旬、谷川岳市の倉沢。9月23日~28日、第13回日本山岳画協会展覧会。於三越本店7階。穂高ツリ尾根、北穂高南峯、滝谷第5尾根の頭、春の槍ヶ岳、梓川。10月10日~15日、苅込湖他。12月下旬、土樽方面。日時不詳、谷川岳(数次)日光、尾瀬。
昭和28年 1月29日、土樽方面。3月7日、越生梅林。3月22日、苗場小屋。23日、苗場ヒュッテ。24日、武能、マチガ沢の上。4月、春陽会第30回展覧会。北穂高第2尾根、滝谷ドーム北壁。6月、北海道。6日、阿寒湖、愛別岳比布岳(厚生省、国立公園協会所蔵)。7日~8日、前穂高嶽、奥又白。9月10日~15日、松原湖、稲子牧、佐久高原。10月13日~16日、清津峡、飯士山。11月11日~12日、石廊崎。日時不詳、八ヶ岳々麓、蔵王、志賀、上越。
昭和29年 4月17日~5月2日、春陽会第31回展覧会。滝谷の岩壁、母子。4月28日、阿蘇。5月2日、傾山。5月28日、菊池水源発帰京。6月7日~11日、金精峠、湯の湖。7月10日~25日奥穂ジャングルム、滝谷。9月末初、日光。10月中旬、北穂滞在。日時不詳、上越、朝日磐梯、他。穂高、70号。歌舞伎座蔵。
昭和30年 3月末、深大寺。4月17日~5月3日、春陽会第32回展。穂高稜線にて、5月中~下旬、西黒尾根、奥利根、マチガ沢。6月25日、法師。夏、北穂高岳、奥穂高岳。9月21日、御座石場。24日、鳳凰小屋。25日、北岳。10月野麦峠。日時不詳、上越、鳥海山、八幡平、他。
昭和31年 3月、吾妻山、4月30日~5月6日、春陽会第33回展覧会。北穂高岳南峰、朝 雲。5月17日、夜叉神峠。5月23日、折平。7月、稲住温泉、秋の宮温泉、磐梯山。日時不詳、北穂高岳滞在、他多方面。著書『山は屋上より』朋文堂。
昭和32年 4月18日~5月4日、春陽会第34回展覧会。穂高岳南峰、30号。6日、スケッチ展。於大阪大丸。7日~8日、涸沢、奥穂高岳、北穂高岳。9月17日~21日、個展。於日動画廊。日時不詳、夏北穂高岳滞在、他多方面。
昭和33年 4月上旬、塩尻峠、美しヶ原。4月27日~5月13日、春陽会第35回展覧会。奥穂高岳と涸沢岳、25号。5月~8月、箱根に仮寓。8月、神奈川県鎌倉市に移る。7月~8月、奥穂高岳、北穂高岳。日時不詳、八ヶ岳々麓、他。
昭和34年 4月22日~5月8日、春陽会第36回展覧会。奥穂高岳と涸沢岳 25号。7月~8月、北穂高岳、奥穂高岳。9月中旬、丹沢。日時不詳、上越、蔵王、他多方面。
昭和35年 3月20日~30日、八ヶ岳山麓。4月22日~5月8日、春陽会第37回展覧会。穂高岳三題、滝谷ドーム、40P。第2尾根、25F、北穂高岳、30F。4月、谷川岳。日時不詳。夏、北穂高岳滞在。八ヶ岳、他多方面。
昭和36年 4月17日、羽田発。7月帰国、渡欧。イール・ド・フランス、シヤモニ、ツエルマットを中心として写生。日時不詳、山行多数。
昭和37年 4月22日~5月7日、春陽会第39回展覧会。モンブランの針峯群、エギュー・デュ・ドリュ。7月~8月、上高地槍穂高。日時不詳、上信、安中、伊豆。
昭和38年 4月、春陽会第40回展覧会。ブラッテンの礼拝堂、シャモニーの針峯群。日時不詳、北アルプス滞在、甲州、上高地、他。
昭和39年 4月22日~5月8日、春陽会第41回展覧会。北穂高岳。7月、双六方面、10日間以上雨。10月初旬、裏尾瀬。11月上中旬、新潟山岳会のメンバーと佐渡へ。11月、三浦崎。日時不詳。北穂方面滞在、大磯、丹沢、上越。
昭和40年 4月22日~5月8日、春陽会第42回展覧会。上高地初夏、7月~8月、槍ヶ岳北鎌尾根。日時不詳、槍・穂高岳方面滞在、多方面。
昭和41年 4月17日~23日、大和紀伊の旅。4月22日~5月8日、春陽会第43回展覧会。槍ヶ岳北鎌尾根にて50F。7月~8月、開田高原、上高地、北穂滝谷を中心に滞在、西穂高岳。11日秩父方面。日時不詳、上信越、その他。神奈川県美術展始る。没年迄招待出品。3月のスキー行にて体力の限界を知り、永年親しんだスキー行中止す。
昭和42年 4月1日、秋間梅林。4月22日~5月8日、春陽会第44回展覧会。北穂高岳南峯 50F。5月1日~9日、個展。於日動サロン。日時不詳、槍岳、北穂高岳、上信越方面。
昭和43年 3月、第3回神奈川県美術展、実行委員。4月22日~5月8日、春陽会第45回展覧会。春の槍ヶ岳、5月、上高地、槍・穂高方面。日時不詳、甲斐路、その他。
昭和44年 4月22日~5月8日、春陽会第46回展覧会。牡丹15F、穂高新秋。6月、甲州アヤメ平。7月、甲州、悪沢を見る。8月末、鹿島平。9月、アヤメ平。日時不詳、乗鞍岳、上高地、他。
昭和45年 3月初、甲州穴山。4月22日~5月8日、春陽会第47回展覧会。初夏の鹿島槍。5月、上高地ウエストン祭の後鹿島に泊る。6月。高山より、開田高原、野麦峠。10月16日、千石尾根(西穂高)。7日、乗鞍岳一ノ瀬。12月5日頃、「霧の旅」にて可睡斎。日時不詳、上高地、穂高、上信越、他。
昭和46年 4月22日~5月8日、春陽会第48回展覧会。初夏の穂高岳。5月、ウエストン祭の日に長屏に登り雪中より穂高連峯に別れを告げる。最後の自力による登山となる。乗鞍へ廻る。日時不詳、甲斐路、佐久往還、他。著書『日本の山旅』茗溪堂(奥付は1970なるも刊行は翌年となる)。
昭和47年 3月、白内障手術の為日大板橋病院に入院、視力は「見えすぎる」程に恢復。4月22日~5月8日、春陽会第49回展覧会。劔岳新雪 20F8月、視力極めて良好なるも食事が進まず外来検査、即日入院し、月末に手術、胃を殆んど除去。9月、退院帰宅、極めて好調、11月末より不調を訴え、12月、額田病院に入院、点滴にて越年す。
昭和48年 1月、調子良き日を見計いアトリエへ通って春陽会への出品作品を描く。29日、退院、自宅へ戻る。2月下旬、出品作を完成。3月31日永眠。痛みを訴えたが死の直前迄意識明瞭であった。4月5日、春陽会葬、於鎌倉七里ヶ浜ホテル。4月22日~5月8日、春陽会第50回展覧会。春の穂高岳徳本峠より。昭和49年 4月22日~5月8日、春陽会第51回展覧会。遺作室設けられ、チューリップ、10号1923、上海の娘、5号1943、ホテルモンブランの窓、5号1961、マッターホルン、25号1962、牡丹、10号1968と著書など陳列、石井鶴三遺作等併陳。
(本年譜は足立朗、『神奈川県美術風土記・幕末明治拾遺篇』より転載)

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(226-232頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「足立源一郎」が含まれます。
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