松本弘二

没年月日:1973/06/29
分野:, (洋)

二科会会員、理事の洋画家、松本弘二は、6月29日午後2時25分、肺気腫のため東京世田谷の自宅で死去した。享年77歳。松本弘二は、佐賀県佐賀郡(現・佐賀市)に生まれ、中学を中途で退学となり、高木背水を頼って上京、洋画を学ぶことになったが、葵橋洋画研究所に入って黒田清輝の指導をうけた。また、広津和郎との交友から文学にひかれ、青年期には雑誌の編集に携わり、思想的にも開眼、『種蒔く人』同人となっている。アルス社企画部長などを勤めて出版活動のあと、絵画に専念するようになるのは、昭和4年(1929)3月から、昭和6年(1931)7月にいたる2年間のフランス滞在以降である。それ以後、終始二科会に所属して大きな筆触で描かれた漁村風景、海港風景、花の静物などの作品を発表してきた。晩年は二科会の長老的存在として理事をつとめ、後身の指導にも情熱を傾けていた。
年譜
明治28年(1895) 9月21日、松本伊七、たけの次男として佐賀郡(現佐賀市)に生まれる。
明治39年 兵庫県尋常高等小学校尋常科卒業
明治41年 佐賀県立佐賀中学校入学
明治45年 佐賀中学校中途退学後、叔母の計らいで当時東京鍋島候邸内で画塾を開いていた高木背水を頼って上京、洋画の手ほどきを受ける。またしばしば高木を訪ねていた広津和郎を知り交遊を結び、文学への興味を示す。
大正3年 高木背水から渡鮮同行をさそわれたが辞退、黒田清輝の葵橋研究所入る。
徴兵検査のため帰佐した際、第1回佐賀美術協会展への出品を請われて油絵2点(4号)を出品。
大正4年 出版社飛行社に入社。「飛行少年」「飛行幼年」「活動画報」の編集に携わる。
第2回佐賀美術協会展に出品(画号龍骨)「鍋島屋敷」
大正5年 広津和郎と共に大鎧閣解放社に入社。
大正6年 雑誌「解放」の編集に携わる。また「種蒔く人」同人となる。
大正8年 第6回佐賀美術協会展に出品。
大正10年 二科展に「水道橋駅風景」を出品し初入選。
雑誌「解放」「文芸戦線」の編集に携わる。
11月29日、吉岡藤枝と結婚。
大正11年 秋田土崎地方風景を写生する。以後随時秋田へ赴き製作する。
大正博覧会に「郊外」を出品
二科展に「秋田土崎港」「冬」を出品入選。
大正13年 アルス社に入社。
大正15年 アルス社の「美術大講座」の編集に携わる。
昭和3年 アルス社企画部長となり新刊の選定にあたる。
二科展に「桐畑」を出品
昭和4年 3月11日、藤枝夫人とともに渡欧。パリ到着後、美術学校グラン・ショミエールに学ぶ。
昭和5年 サロン・ドートンヌに「ル・バザール」「旧市街の一角」入選。
二科展に「コントア・ド・マルシャン・ド・ヴァン」「ノートルダム・ド・パリ」「梨子の花咲く頃」を出品。
昭和6年 サロン・ドートンヌに「丘の上」入選。
二科展に「リュー・ド・パリのほとり」「春色」「ル・バザール」「丘の上」「夏のボア・ド・ムードン」「旧市街の一角」「ペール・バレルとその家族」の7点が特別陳列される。
7月帰国。
昭和7年 二科会の中堅作家で結成されていた鉦人社が、新美術家協会と改称。宮本三郎氏らのさそいを受け入会。
二科展に「東京の屋根」「静物」を出品。
昭和8年 第5回新美術家協会展に「レモンのある静物」等5展を出品。
二科展に「窓」を出品。二科会会友に推される。
昭和9年 大阪阪急百貨店で最初の個展、30点出品。
第6回新美術家協会展に「岩礁」「雪の北アルプス連峰」を出品。
昭和10年 二科展に「立秋」「夏果」「ブッペー」を出品。
文展改組に際し文部省から無鑑査出品の待遇を受けたが出品せず。
第7回新美術家協会展に「夏果園」「吹雪の道」を出品。
昭和11年 二科展に「花火大会所見」「太陽島の夏」出品。
第8回新美術家協会展に「花を持つ女」を出品。
銀座資生堂ギャラリーで個展。18点出品。
昭和12年 二科展に「滞船」「赤坂見付」出品。
昭和13年 京城三越で個展(5/12~14)
二科展に「川岸」「思い出の海金鋼」「雪の蓼科」「高原」出品。
第10回新美術家協会展に「滞船」「御嶽を望む」出品。
昭和14年 佐賀市公会堂で個展(6/3~7)
満州、朝鮮地方を写生旅行。
二科展に「高原にて」出品。
第11回新美術家協会展に「雪、月、花」「贈られた花」出品。
昭和15年 紀元2600年奉祝展へ男鹿二題「龍ヶ島」「鳥海山」を出品し推奨受賞。
小倉菊屋百貨店個展。(5/10~14)30点出品。
昭和16年 下関商工会議所で個展。(4/2~3)
二科展へ「雪の上」「ゲレンデ・スキー」を出品し二科会会員に推される。
昭和17年 中国上海を中心に写生旅行し、その時の作品を「孔子廟附近」(南通)「バンド」(上海)を二科展へ出品。
昭和18年 二科展へ「大宝」「芍薬」を出品。
昭和22年 第1回美術団体連合展へ「春の関門海峡」A・Bを出品。
下関で個展。
二科展へ「田園」「閑庭」を出品。
昭和23年 第2回美術団体連合展へ「初夏」を出品。
二科展へ「ちまた・A」を出品。
昭和24年 第3回美術団体連合展へ「花」を出品。
佐賀市玉屋百貨店で個展。(2/4~8)
二科展へ「ちまた」出品。
昭和25年 春季二科展へ「梅林」を出品。
二科展へ「滞船」「釣橋」「海女」「海の見える丘」を出品。
昭和26年 二科展へ「海鹿島の夏」「嵐の後」「海女」「ダリア」「夏の海」を出品し会員努力賞受賞。
豊橋市浦柴屋画廊で個展(11/7~13)25点出品。
昭和27年 東京高島屋で個展(3/6~9)。
福島県平市と福間で個展。
二科展へ「原釜の夏」A、B「小名浜港」「野地の雲」を出品。
昭和28年 東京兜町画廊主催で個展(4/6~12)。「大島元村にて」他17点出品。
二科春季展へ「三原山」出品。
二科展へ「木曾川の夏」「木曾路の夏」「濤」「静物」A、Bを出品。
昭和29年 第1回現代日本美術展へ花二題「牡丹」「ダリア」を出品。
二科展へ「宣伝戦」「貧しき部屋」「水辺」を出品。
二科展へ「鰯漁」「満潮」を出品。
昭和31年 第2回現代日本美術展へ「室内」を出品
二科展へ「銀座風景」「漁港風景」「海浜」を出品。
昭和32年 第3回日本国際美術展へ「ブルヴァール」A、Bを出品。
二科展へ「ガード下風景」「漁村風景」「白い花黄色い花」を出品
昭和33年 第3回現代日本美術展へ「夜の風景」を出品。二科展へ「ひなげし」「ダリア」「満潮の頃」「海辺の丘」を出品。
秋田市で個展。24点出品。
昭和34年 第4回日本国際美術展へ「内牧の阿蘇」を出品。
二科展へ「街頭にて」「花」「遊ぶ鳶の子」を出品。
宮本三郎、田崎広助、寺田竹雄氏らと友人会を結成。以後毎年東京高島屋で友人会展を開催。
昭和35年 第4回現代日本美術展へ「春雪」を出品。
二科展へ「シャトウのネオン」を出品。
サロン・ド・コンパレゾーン展(パリ)へ「木曾川の夏」を招待出品。
昭和36年 二科展へ「瓜痕」「黎明」を出品。
平戸、鹿児島地方へ写生旅行。
メキシコ二科展へ招待出品。
二科会理事となる。
昭和37年 第5回現代日本美術展へ「平戸港」を出品。
二科展へ「海女のいる浜」「海猪の郡」「放牧」を出品。
母校兵庫小学校の開校65周年記念に「バラ」を寄贈
昭和38年 北海道写生旅行
二科展へ「出漁」「夏」を出品。
昭和39年 第6回現代日本美術展へ「新雪」を出品。
二科展へ「廃墟」「日照る雨」を出品。
秋田市木内ホールで個展。24点出品。
昭和40年 二科展へアルプス三題「陳馬姨拾連峰」「白馬槍連峰」「戸隠妙高連峰」出品。
銀座資生堂で個展(5/17~22)20点出品。
東京都美術館運営審議会委員となる。(~46年3月まで)
昭和41年 二科展へ「競馬」を出品し、青児賞を受賞。
日動画廊にて個展。(10/17~22)30点出点。
昭和42年 二科展へ「吾子の初旅」を出品。
サロン・ドートンヌ展へ招待出品。
昭和43年 二科展へ「逍遥遊」(荘子より)を出品
昭和44年 二科展へ「広場(一)サンマルコ」「広場(二)」「李朝の壺」を出品。
昭和45年 東京高島屋で個展(5/19~/24)25点出品。
二科展へ「男鹿の夏」「雷窓」を出品。「男鹿の夏」で総理大臣賞受賞。
昭和46年 二科展へ「渚の朝」「花」出品。
昭和47年 二科展へ「富士黎明」「花」出品
昭和48年 6月29日午後2時15分、肺気腫のため逝去。
絶筆「アルプス」二科展へ「雄物川の冬」出品。
第16回友人会展へ「春雪」「庭の秋」出品。
昭和49年 5月29日生前の功績により紺綬褒章を藤枝夫人に追賞される。
佐賀県立博物館主催で「松本弘二遺作展」開催。(7/20~8/4)
(本年譜は佐賀県立博物館主催松本弘二遺作展目録より転載)

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(247-249頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「松本弘二」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(247-249頁)
例)「松本弘二 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9390.html(閲覧日 2024-04-20)
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