早川芳彦

没年月日:1973/09/22
分野:, (洋)

旧日展委員の洋画家早川芳彦は、9月22日東京新宿の東京医大病院でジン不全のため死去した。享年77歳。明治32年8月6日山梨県東山梨郡に生れ、川端画学校で洋画を学んだ。昭和10年春洋会に「室内」「窓辺の静物」が初入選し、同会に昭和12年~15年までの出品がみられる。ついで、昭和13年太平洋画会に「絵を描く女」「椿のある庭」「卓上の花」を出品、NYK賞を受ける。同会では、また15年に「婦人座像」「椅子に倚る女」「子供」「荏」などを出品、太平洋画会賞となった。同15年には会員となり、28年委員に推された。昭和29年同会有志を中心に光陽会が創立され、その創立会員となった。そのほか、紀元二千六百年奉祝展、戦争美術展等の出品があり、戦後第2・3回日展委員を依嘱されている。代表作―「浅間山」「昇仙峡」「赤城」など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(245-246頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「早川芳彦」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(245-246頁)
例)「早川芳彦 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9379.html(閲覧日 2024-04-26)
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