藤岡一

没年月日:1974/06/19
分野:, (洋)

 独立美術協会会員の洋画家藤岡一は、6月19日午前6時25分、肝硬変のため福岡市の九大病院で死去した。享年75歳であった。藤岡一は、明治32年(1899)4月29日、福岡県大牟田市に生まれている。父浄吉は石川県金沢市の出身で、大牟田三池鉱業所の所長をつとめ、陶器の蒐集家でもあった。福岡県立中学明善校をへて、昭和2年(1927)東京美術学校西洋画科を卒業、同級に牛島憲之荻須高徳加山四郎小磯良平中西利雄山口長男猪熊弦一郎岡田謙三高野三三男などがおり、後に上杜会を結成、藤岡も同会の熱心なメンバーであった。昭和4年(1929)ヨーロッパにわたり、パリに滞在し、昭和8年(1933)帰国した。滞仏時代がエコール・ド・パリの全盛期にあたり、その影響をうけ、フォーヴィスムを基調とした作品を独立美術展に出品、発表した。帰国の年、第3回独立展「赤いベレーの女」でO氏賞をうけ、昭和11年独立美術協会会友に推薦され、同16年同会会員となった。昭和23年、共同染工株式会社監査役になり陶器部門を担当しその指導にあたり、また日本大学講師として後身の指導にもあたった。昭和42年(1967)第35回独立展で出品作「波」で児島賞を受賞、具象的形体を残しながら水墨を思わせる抽象的作風をみせていた。東京・資生堂画廊で個展を12回にわたって開催してきたが、ここ数年、糖尿病が悪化していた。
独立展出品作品年譜
昭和8年第3回展・「テーブルの上の静物」「静物」「静物」「画家室」「パイナップルをのせた静物」「静物」「ココ」「洗面所」「静物」同9年・「静物」「子供と犬」同10年・「司厨婦」「走」「壺」同11年・「アブストラクション」「誕生」「「アブストラクション」同12年・「花甘藍」「マンドリン」「挿花圖」同13年・「相撲(1)」「戦争譜」「相撲(2)」同16年・「支那服」「支那服」同17年・「対話」「対話」 同22年・「海(一)」「海(二)」「海(三)」「海(四)」「雨の熱海」同23年・「竹煮草」「汲便圖」同25年・「バレ(二)」「静物」同27年・「静物」「根府川駅」「千石原高原」同28年・「静物」「裸婦図」「朝鮮扁壺」同29年・「稽古」「三彩とリーチの皿」同30年・「ギリシャの壺」「戦争1」「ひまわり」同31年・「鍋島の御神酒徳利」「半裸体」「炭坑婦」同32年・「merry-go-round」同33年・「朝」「昼」「夜」同34年・「作品(1)」「作品(2)」「作品(3)」同35年・「油絵(1)」「油絵(2)」「油絵(3)」同36年・「油絵第一」「油絵第二」同38年・「舞」同39年・「無題」同40年・「無題」同41年・「草上の裸婦達」同42年・「大洋」同43年・「作品」同44年・「山」同45年・「空」同46年「日出」「日没」

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(283-284頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「藤岡一」が含まれます。
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