鈴木保徳

没年月日:1974/11/11
分野:, (洋)

 独立美術協会の創立会員のひとり、鈴木保徳は胃ガンのため11月11日午後6時、東京世田谷区の自宅で死亡した。享年83歳。鈴木保徳は、明治24年(1891)11月23日、東京蒲田区(現・大田区)に生まれ、大正5年3月、東京美術学校西洋画科を卒業した。在学中は黒田清輝の指導をうけたが、卒業後の一時期は、生来の生物、特に昆虫好きから生物学にむかおうと悩んだりしたが、二科会展の大正10年(1921)第8回展から出品、昭和3年第15回二科展に「接木と花」「青嵐」他3点を出品して二科賞を受賞、会友となった。
 昭和5年(1930)11月、三岸好太郎、高畠達四郎らと二科会のなかの同志、林武児島善三郎鈴木亜夫らと共に独立美術協会を設立、翌年1月第   1回展を開催、以後、独立展を中心に作品を発表してきた。その間、昭和8年には独立展開催のために台湾に旅行、また昭和11年にはグループ展のために中国東北部(旧満州)に旅行した。昭和29年(1954)には多摩美術大学教授となり同41年(1966)まで後身の指導にあたり、47年(1972)紫綬褒章をうけた。作風は、明暗の対比のつよい人物像、やや抽象化した形体による構成風の作品から、ふとい筆触による雄大な自然風景、線のリズミカルな表現をみせた静物画という展開をとっている。
独立展出品作品年譜
昭和6年・「幼児を抱く」「赤い花」「婦人肖像」「驢馬と月」「花」同7年・「冬期のバラ園」「老農婦の顔」「農婦1」「農婦2」「無題」「街上」同8年・「コンポジション」「若き農婦」「少女」「女」「納屋の内」「苅女」「二人」同9年・「後向きの母」「民族の夢」同10年・「鉄砲百合とバラ」「田舎娘像」「柿の実を持てる娘」「立てる小供」「静物」同11年・「国都建設(満州)」「狼の檻を見る婦人達(満州)」「公園建設(新京)」「横たはれる満州土人」同12年・「島にて」「鶴を写す人」同13年・「大陸の人々」「鳥影」同16年・「残雪」「水禽の檻」「雁」同17年・「高原初秋」「吹雪の絶間」「雪の前」「高原の秋」同18年・「朝の山」「夕の山」同19年・「花」「巖の影」同22年「雪後の子供」「泥濘の広場」「屋敷町の跡」同23年・「紫陽花」「遠藤氏像」同24年・「冬景色」「晩高の静物」「少女啓子像」「桃と馬鈴薯」同25年・「冬島」同26年・「明るき道」「奥まれる路」「曇れる道」同27年・「八月の丘」同28年・「老婦人像」「手風琴」「化粧」同29年・「梅雨時」「田園近き所」同30年・「漁港入口」」「蔭」「炎暑の日」同31年・「空地」「七面鳥」「群がる家」同32年・「人は棲む」「積藁」同33年・「乾ける土」「藁と人」「とり」同34年・「遠い鳥」「追はれている鳥」「黙する鳥」同35年・「宿令」「炎日」同36年・「人馬の群」「疎林の中の騎馬」同38年「一馬」「奇馬」同39年・「日輪と馬車」「ハイカーの群」同40年・「樹と人間」「土用波」同41年・「一偶」「鳥」同42年・「夜明けのバラ」「群居」同43年・「少児とペット」「笛と草」同44年・「紅バラ」「羽搏く鳥」同45年・「群と遊ぶ」「乾燥花をいたわる女性」同46年・「バラと馬鈴薯」「室内の季節」同47年・「風の中の湖水(支笏湖)「崖下の騎士」

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(264頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「鈴木保徳」が含まれます。
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