榊原紫峰

没年月日:1971/01/07
分野:, (日)

 日本画家榊原紫峰は、1月7日老衰により京都市北区の自宅で死去した。享年83歳。本名安造。明治20年8月8日日本画家榊原蘆江の次男として京都市中京に生れ、京都市立美術工芸学校卒業後、京都市立絵画専門学校に学び、明治44年第1回生として卒業した。大正7年村上華岳入江波光土田麦僊小野竹喬らと国画創作協会を創立し、新しい日本画創造を目ざして活躍した。国画創作のほかは官展に出品し、昭和12年京都市立絵画専門学校教授、同24年同市立美術大学教授となった。同34年退職し、名誉教授となった。この間宇治平等院、醍醐寺三宝院、山科法界寺で壁画模写の指導にあたり、同37年には日本芸術院恩賜賞を授与された。作品は沈静荘重な画風を特色とし、代表作に「赤松」「獅子」「冬朝」「奈良の森」などがある。著書「紫峰花鳥画集」「花鳥画の本質」「紫峰芸術観」
略年譜
明治20年 日本画家・榊原蘆江の次男として、京都市中京区に生れる。本名、安造。
明治40年 京都市立美術工芸学校日本画科卒業。「軍鶏」(卒業制作)引続き同校研究科に進む。この年父より紫峰正勝の画号をもらう。
明治42年 京都市立絵画専門学校創設され、村上華岳入江波光らと共に同校2年に編入。第3回文展に《動物園の猿》初出品、以後大正6年まで文展を中心に出品する。
明治43年 「永き日」(褒状)第4回文展
明治44年 絵画専門学校本科卒業、続いて研究科に入学。卒業制作《花曇り》を第5回文展に出品して3等賞を受賞。
明治45年 「南園の一隅に於ける曲と眠り」第6回文展
大正2年 「夕榮」(褒状)第7回文展
大正3年 第8回文展出品《秋草》落選 第2回院展に出品する。
大正4年 「白梅」第9回文展「秋草」第2回院展
大正6年 「梅雨晴れ」第11回文展
大正7年 小野竹喬土田麦僊村上華岳野長瀬晩花と共に国画創作協会設立の宣言をする。文展を離れて第1回国画創作協会展を開く。「青梅」出品。以後この国展に出品してゆく。
大正8年 「赤松」第2回国展
大正9年 「奈良の森」第3回国展
大正10年 より12年まで、国展は、主力会員のヨーロッパ行きと関東大震災などのため休会する。
大正13年 「雪柳白鷺の図」第4回国展
大正14年 「蓮池」第5回国展
昭和2年 「獅子」第6回国展
昭和3年 「冬朝」第7回国展。国展第1部(日本画)解散を声明。
昭和4年 第10回帝展の推薦となる。また翌昭和5年からは新官制による無鑑査となる。パリ日本美術展に《朝露》を出品。
昭和5年 ローマ日本美術展に《風雪白鷺図》を出品。
昭和12年 新文展開かれ、参与となる。絵画専門学校教授に就任。
昭和14年 第3回新文展の審査員となる。
昭和16年 小野竹喬入江波光と三人展を開催する。
昭和23年 京都市立美術専門学校の客員教授となり、翌年、同美術大学の教授に就任。
昭和31年 この年から、宇治平等院、醍醐三宝院、日野法界寺で壁画模写の指導に当る。
昭和36年 市立美術大学教授を定年退職、名誉教授となる。この頃から病床につく。
昭和37年 日本芸術院恩賜賞を受ける。
昭和44年 画業60年記念〈榊原紫峰〉展を大阪・阪神で開催。
昭和46年 1月7日、死去。
画集に《紫峰画集》(大正13年、高島屋美術部)、《同》(大正15年、同)、《紫峰花鳥画集》(昭和9年、芸艸堂)、《紫峰スケッチ集》(昭和23年、全国書房)等、著書に《花鳥画を描く人へ》(昭和4年、中央美術社)、《花鳥画の本質》(昭和10年、芸艸堂)、《紫峰芸観》(昭和15年、河出書房)等がある。この他氏に関する論評及び参考図書等多い。
(年譜京都市美術館年報昭和45年に拠る。)

出 典:『日本美術年鑑』昭和47年版(78頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「榊原紫峰」が含まれます。
to page top