加藤栄三

没年月日:1972/05/24
分野:, (日)

日本画家加藤栄三は、5月24日朝自庭のかしわの木にひもをかけ自らの命を絶った。同じ月の中旬には、日本橋三越で作品展をひらいて好評だったりしたが、新聞各紙には仕事の行きずまり故のことと報じられた。享年65歳。本名栄三。明治39年9月日岐阜市に生れ、岐阜商業学校に学び、昭和6年東京美術学校日本画科を卒業した。在学中帝展第10回展に「夏日小景」が初入選し、卒業後は結城素明に就き、昭和11年新文展(鑑査)に「薄暮」を出品し、文部大臣賞となった。昭和14年第3回文展「月夜」が特選となり、昭和16年には無鑑査となった。また、昭和18年には海軍報導班員としてセレベス、ジャワ等南方に派遣され、同年11月海軍作戦記録画「設営隊」を完成した。戦後は、東京、京都の日本画家が集って創立された創造美術の創立会員となった。同会は、日本画壇に新風をおくるものとして注目されたが、彼は同25年同じく創立会員の橋本明治とともに創造美術を脱退し、翌年橋本明治と日本橋高島屋に「二人展」を開き、「鮎・夕揺」その他を出品した。またこの年秋、日展に復帰し、「草炎」を出品した。同27年第8回日展では審査員となり、「沼のある風景」を出品した。
昭和33年第1回日展出品作「空」は、同年の日本芸術院賞となった。彼は官展のほか、昭和6年3月東京美術学校日本画科卒業の同期生である東山魁夷橋本明治らとの六窓会展或いは街の展観にも作品を発表して活躍していた。
略歴
明治39年9月20日 岐阜市に生れる。
昭和4年 「夏日小景」第10回帝展初入選。
昭和6年 東京美術学校日本画科卒業。
昭和11年 「薄暮」新文展(文部大臣賞)
昭和14年 「月夜」3回文展(特選)
昭和16年 文展無鑑査となる。
昭和18年 海軍報道班員として南方セレベス、ジャワに派遣され、海軍作戦記録画「設営隊」を制作。
昭和22年 「谿音」第3回日展出品。12月創造美術同人。
昭和23年 「月響」第1回創造展。
昭和24年 「高原」第2回創造展。
昭和25年 「裸婦」第3回創造展。 「風光る」第2回春季創造展。
昭和26年 「二人展」日本橋高島屋、橋本明治とともに開催、「鮎・夕揺」その他作品 日展に復帰「草炎」出品。
昭和27年 第8回日展審査員「沼のある風景」出品。
昭和28年 第9回日展審査員「磐梯」出品。「もくれん」六窓会「春の雪」第1回青羊会。
昭和32年 「加藤栄三スケッチ展」銀座松屋デッサンシリーズ。新作個展を兼素洞に開く。
昭和33年 第1回日展「空」日本芸術院賞となる。
昭和34年 郷里岐阜にて自選展を開く。
昭和35年 鎌倉近代美術館にて小山敬三加藤栄三自選展を開く。
昭和41年 第9回日展審査員「飛天」出品。
昭和42年 欧洲巡遊。
昭和43年 「イタリアの旅スケッチ展」銀座松屋 12月、印度、ネパールの旅に出る。
昭和44年 改組第1回日展「刻」出品。
昭和45年 第2回日展審査員「飛弾」出品。
昭和46年 「流離の灯」第3回日展。 「明けゆく富士」第1回松籟会(銀座松屋)
昭和47年 5月「日本の祭展」日本橋三越に開く。 5月24日 逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(72-73頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「加藤栄三」『日本美術年鑑』昭和48年版(72-73頁)
例)「加藤栄三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9335.html(閲覧日 2024-03-29)

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