徳岡神泉

没年月日:1972/06/09
分野:, (日)

 日本画家徳岡神泉は、9日京都市右京区の清水病院で尿毒症、ジン不全のため死去した。享年76歳。本名時次郎。明治29年2月14日京都市上京区に生れ、高等小学校在学中竹内栖鳳の塾竹杖会に入った。高等小学卒業後、京都市立美術工芸学校に入学、更に大正3年京都市立絵画専門学校に入った。同6年同校を卒業したが、この頃芸術上の煩悶から妙心寺に参禅し、また富士山麓の辺りに逃避したりしている。この時期の作品に「狂女」がある。大正12年、関東大震災を機に京都に戻り、再び竹内栖鳳門下となった。同14年第6回帝展に「罌粟」を出品し初入選となり、翌年第7回帝展の「蓮池」が特選となり、以後官展を中心に発表をつづけ活躍する。その後、昭和4年第10回帝展「鯉」が特選になり、昭和5年には帝国美術院推薦(無鑑査)となった。昭和10年帝展改組に際して無鑑査指定となり、第2回文展では審査員をつとめた。昭和17年には栖鳳門下の丹丘会、一葱青会竹立会などを総合して第二竹杖会を結成した。戦後は、屡々日展審査員をつとめ、昭和26年前年度日展出品作「鯉」その他に対し第7回日本芸術院賞を受け、同28年には前年度「池」(日展作)に対し第4回毎日美術賞を受けた。昭和32年日本芸術院会員となり、41年には文化勲章を授領した。昭和47年6月9日逝去にあたり、叙位従三位を贈られた。神泉は、栖鳳塾に学び、京都の四條円山派の流れをくむ写生画派に出発している。したがって、初期の作品には刻明な写生を追った作品がみられるが、画面は次第に整理、簡略化され、無駄のない静ひつな装飾的画面にその特色を示すようになった。この間の主なものに「菖蒲」(昭和14年)「芋図」(昭和18年)などがある。戦後は、その静ひつな画面に、技法的にも精神的にも一段と深みを加え、一種独特の象徴的画風を確立するに至った。極めて単純化されたモチーフの中に、鑑者を吸い込ませる様な独特のマチエールで示された幽玄で奥深い画趣は近代日本画の中でも極めてユニークな傾向であった。しかも、京都の写生画派を、練達な筆技によって近代化した師竹内栖鳳の傾向とは全く対象的である点も興味深い。代表作-以上のほか、「流れ」「薄」「赤松」「枯葉」「苅田」「雨」「仔鹿」「すゝき」など。
略年譜
明29(1896) 2月14日京都市上京区に徳岡庄太郎 るいの次男として生れる。
1902 明35 京都市上京区教業尋常小学校に入学。
1906 明39 同校卒業、第一高等小学校に入学。
1909 明42 土田麦僊の紹介で竹内栖鳳の塾、竹杖会にはいる。
1910 明43 第一高等小学校を卒業、京都市立美術工芸学校絵画科に入学。
1911 明44 市立美工1年校友会展に「海老」を出品、金牌受賞。同校在学中、2年校友会展に「杉に軍鶏」、3年校友会展に「山の紅葉」を出品し、それぞれ銀牌を受けた。
1914 大3 3月同校卒業、4月京都市立絵画専門学校へ進む。卒業制作の「寒汀」は銀牌を受賞し、学校へ買上げられた。
1916 大5 在学作品「晩秋」を描く。
1917 大6 3月第7期生として京都市立絵画専門学校を卒業。同期に宇田荻邨、小林観爾らが居た。卒業制作として「筒井筒」を描く。
1918 大7 このころ芸術に対する煩悶から妙心寺内の寺々を転々と移り住み、また禅によって精神的な安静を得ようとした。
1919 大8 ついに京都にいたたまれず、画材を求めて富士山麓地方に逃避する。同地において「狂女」を描く。
1920 大9 深沢長三郎次女、政子と結婚。このころ「椿」「蓮」「芥子」などを制作。
1922 大11 2月長女房子出生。
1923 大12 秋、岩淵在住中の先輩近藤浩一路のすすめにより、関東大震災を期として京都に帰り、下鴨に居住する。再び栖鳳門下に入塾。
1925 大14 10月第6回帝展に「罌粟」を出品、初入選。
1926 大15昭1 5月第1回聖徳太子奉讃美術展に「椿図」を出品。10月第7回帝展に「蓮池」を出品、特選を受ける。
1927 昭2 10月第8回帝展に「後苑雨後」を出品。
1928 昭3 10月第9回帝展に「蕭条」を出品。京都市北区へ転居する。
1929 昭4 6月パリ日本美術展に「暮秋」を出品。10月第10回帝展に「鯉」を出品、再び特選となる。
1930 昭5 3月第2回聖徳太子奉讃美術展に「幽光」、7月ベルリン日本美術展出品公開展に「牡丹」、10月第11回帝展に「月明」を出品。帝国美術院推薦(無鑑査)となる。
1932 昭7 10月第13回帝展に「蓮」を出品。
1933 昭8 5月竹杖会第1回未公開研究会に「松」を出品、鳳賞を受ける。6月京都、佐藤梅軒画廊で最初の個展を開く。「梅」「緋桃」「桜」「紅蓮」「花菖蒲」「蓮池」「百合と竜胆」「鯉」「牡丹」「菊」「秋叢」「椿雪」の花鳥12ヶ月画幅に「松」(竹杖会)を加え、13点を出品。10月第14回帝展に「罌粟」を出品。
1934 昭9 3月梥本一洋との二人展を大阪大丸に開き、「鶴」「早春」「紅梅小禽」「菊に鶉」など11点を出品。5月京都美術館美術展に「麦」を出品、京都市購入作品となる。10月第15回帝展に「鶏頭」を出品。
1935 昭10 改組帝国美術院において無鑑査指定となる。3月大阪高島屋に第2回個展を開き、「桜」「花菖蒲」「松に小禽」「百合」「八仙花」「秋草に鶉」など19点を出品。東京府美術館10周年記念現代綜合展に「蓮」(第13回帝展)を出品。8月家族とともに静岡地方を旅行する。11月第1回青松会(大阪松坂屋主催)に「松」、井南居展に「夕映」、12月第1回三越日本画展に「桜」を出品。
1936 昭11 京都市立美術工芸学校絵画科教論となる。4月第1回桐華会(大阪三越主催)に「竹」、7月奥村土牛山口華楊、溝上遊亀との四作家展に「芥子」、第2回五葉会に「清秋」を出品。10月18日父庄太郎死去。11月文部省招待展の招待者となったが出品できなかった。第2回青松会に「冬野」、12月第2回三越日本画展に「初冬」を出回。
1937 昭12 日本女子美術学校(長岡女子美術)日本画部教授となる。春虹会および九皐会に同人として新加入、また研究会を休止して親睦会となった竹杖会の後をうけて青木生沖、中田晃陽らとともに竹立会を結成、7月第1回展を開く。母るい死去する。3月第3回春虹会(三越主催)に「牡丹」、4月第3回九皐会(関尚美堂主催)に「緋鯉」、7月第1回竹立会に「南瓜」、11月第3回三越日本画展に「巴鴨」を出品。
1938 昭13 第2回文展審査員をつとめる。3月第4回春虹会に「暮春」、5月第4回九皐会に「紫陽花」、東京会に「池畔」、7月第3回青丘会(高島屋主催)に「霜」を出品。
1939 昭14 京都市立美術工芸学校絵画科教諭を辞任。2月奥村土牛太田聴雨との三人展に「緋桃」「鳩」、3月第5回春虹会に「麦」、第4回青丘会に「春暁」、5月第5回九皐会に「斜陽」を出品。10月第3回新文展に「菖蒲」を出品、文部省購入作品となる。
1940 昭15 3月第3回淙々会に「あじさい」、5月第6回九皐会に「筍」、6月第5回青丘会に「露」を出品。
1941 昭16 4月第7回春虹会に「菜の花」、第6回青丘会に「牡丹」、9月仏印巡回展内示会に「盛夏」を出品。
1942 昭17 竹内栖鳳門下の丹丘会、葱青会、竹立会などを総合して第二竹杖会を結成する。
1943 昭18 5月第8回京都市美術展に「西瓜」を出品。審査員をつとめる。以後しばしば審査員となる。9月関西邦画展に「松」、10月第6回新文展に「芋図」を出品。
1945 昭20 11月再開第1回京都市美術展に「伊予蜜柑」を出品。
1946 昭21 3月初孫紀子出生。第2回日展審査員。以後しばしば審査員をつとめる。
1947 昭22 5月第1回現代綜合美術展に「于瓢」、6月第3回京都市美術展に「于瓢」、10月第3回日展に「赤松」を出品。
1948 昭23 4月第2回現代綜合美術展に「芥子」、6月第1回彩交会(三越主催)に「向日葵」を出品。
1949 昭24 6月第2回彩交会に「筍」を出品。
1950 昭25 6月第3回彩交会に「鯉」を出品。10月第6回日展に「鯉」を出品。文部省購入作品となる。
1951 昭26 1月前年度の日展出品作「鯉」は第2回秀作美術展に選ばれる。また5月「鯉」その他の諸作に対し第7回芸術院賞を受ける。7月第4回彩交会に「芥子」、12月第1回成和会(兼素洞主催)に「柿」を出品。
1952 昭27 3月坂本繁二郎福田平八郎との草人社三人展に「畠」、6月第5回彩交会に「百合」、10月第8回日展に「池」を出品。この年の6月から10月までイタリアのヴェネツィアで開かれた第26回ビエンナーレ展に代表として選ばれ、「鯉」(第6回日展)、「畠」(草人社三人展)を送る。また12月国立近代美術館開館展「近代絵画の回顧と展望」に「菖蒲」(第3回新文展)、「鯉」(第6回日展)を出陳した。
1953 昭28 1月前年度日展出品作「池」に対し第4回毎日美術賞を受ける。第4回選抜秀作展に「畠」を出品。3月第4回茜会(関尚美堂主催)に「三宝柑」を出品。4月京都市立美術大学講師となる。第2回成和会に「柳」、6月第6回彩交会に「松」を出品。また在外公館向けに「菖蒲」を描く。
1954 昭29 1月第5回選抜秀作展に選ばれ「赤松」(第3回日展)、「鯉」(第6回日展)、「池」(第8回日展)、「柳」(第2回成和会)を特別出品。6月第7回彩交会に「菖蒲」、7月第1回爽竜会(弥生画廊主催)に「白百合」、10月第10回日展に「流れ」を出品。
1955 昭30 2月国立近代美術館「19人の作家」展に「鯉」、「池」、「畠」、「柳」、「実る豆」(栗田九品庵展)を出陳。第3回成和会に「椿」、3月第1回燦光会(銀座松坂屋主催)に「菜の花」、5月蒼玄会(京都大丸主催)に「芍薬」、6月第8回彩交会に「牡丹」、10月第11回日展に「薄」を出品。
1956 昭31 1月第7回選抜秀作展に「流れ」(第10回日展)を選ばれたが都合により不出品。第16回半弓会(大阪阪急主催)に「椿」、2月第2回爽竜会に「椿」、4月第9回彩交会に「梅」、6月第7回茜会に「鯉」、7月第2回燦光会に「加茂茄子」、9月第5回蒼玄会に「菊」、10月第1回日展に「赤松」を出品。
1957 昭32 1月第8回選抜秀作展に「薄」(第11回日展)を出品。2月芸術院会員となる。4月第10回彩交会に「こがも」、5月第5回皐月会(高島屋主催)に「桜」、6月第3回爽竜会に「桔梗」、7月第8回竹杖会(京都大丸主催)に「菊」、11月第1回高樹会(中央公論画廊主催)に「ばら」、12月第5回成和会に「慈姑」、第6回蒼玄会に「菊」を出品。
1958 昭33 1月第9回選抜秀作展に「赤松」(第12回日展)を出品。2月高島屋美術部五十年記念展に「玉梅」、第18回半弓会に「水仙」、4月第11回彩交会に「チューリップ」、5月第6回皐月会に「松」、6月第10回清流会(兼素洞主催)に「筍」、7月第9回竹杖会に「柿」、尚美展に「菖蒲」、11月第1回新日展に「枯葉」、第2会高樹会に「柿」、12月第7回蒼玄会に「柚子」、第6回百二会(兼素洞主催)に「蕪」を出品。
1959 昭34 1月第10回選抜秀作展に「筍」(第10回清流会)を出品。3月第6回成和会に「林檎」、5月第7回皐月会に「虞美人草」、第12回彩交会に「錦鯉」、7月第11回清流会に「石」、12月第4回爽竜会に「菊」、第8回蒼玄会に「海老」を出品。
1960 昭35 京都文化保護法施行十周年記念式に文化功労者として表彰さる。1月第11回選抜秀作展に「枯葉」(第1回新日展)を出品。3月第1回好日会(大阪高島屋主催)に「赤蕪」、6月尚美展に「山つつじ」、7月第12回清流会に「紫陽花」、第13回彩交会に「加茂茄子」、11月第3回新日展に「刈田」を出品。
1961 昭36 3月第2回好日会に「椿」、6月第5回爽竜会に「菖蒲」、第14回彩交会に「鳥」、7月第13回清流会に「鯉」、9月日本観光美術展に「青林檎」、11月第4回新日展に「仔鹿」、12月第7回百二会に「桃」を出品。
1962 昭37 1月第13回選抜秀作展に「苅田」(第3回新日展)を出品。3月第3回好日会に「チューリップ」、5月第10回皐月会に「菖蒲」、第22回半弓会に「つつじ」、6月第14回清流会に「鷹」、7月第15回彩交会に「紫陽花」、11月第6回高樹会に「桃」、12月第11回蒼玄会に「梅」を出品。
1963 昭38 2月第6回爽竜会に「水仙」、3月第12回五都展に「鴨」、4月第4回好日会に「レモン」、5月第1回新椿会(資生堂主催)に「静物」、小林一哉堂展に「青い池」、6月第15回清流会に「木の間」、和光展に「熊笹」、7月第16回彩交会に「豆」を出品。
(昭和38年徳岡神泉展目録より転載)

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(74-77頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2016年11月29日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「徳岡神泉」が含まれます。
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