川上澄生

没年月日:1972/09/02
分野:, (版)

 国画会会員、日本版画協会会員の木版画家川上澄生は9月1日午後零時40分、心筋こうそくのため宇都宮市の自宅で死去した。享年77才。川上澄生は本名を澄雄、明治28年(1895)4月10日に横浜市に生まれ、青山学院高等科を卒業、同級生に木口木版画家合田清の長男弘一がいた関係で木版画に興味をいだき、中等科卒業のころ木下杢太郎(大田正雄)の戯曲集「和泉屋染物店」の木版12絵(絵・杢太郎、彫、伊上凡骨)に接して木版を試みようと意図し、また同時期には竹久夢二の作品に深く魅了された。大正6年から7年(1917-18)、父のすすめで渡米したカナダのビクトリアからシャトル、アラスカを放浪したが、大正10年、栃木県立宇都宮中学校の英語教師となり、大正13年(1924)第4回国画創作協会に素描を出品、昭和2年(1927)には日本創作版画協会会員となった。また昭和5年(1930)から国画会展に出品を続け、昭和17年(1942)同会同人に推挙されている。昭和2年に発表した作品「青髯」は棟方志功をして版画に志ざさせたとつたえられているが、初期には19世紀西洋風俗を題材としたものが多く、昭和10年代になると新村出著「南蛮広記」などの影響をうけて南蛮紅毛を主題とした作品が現われる。明治開化の情趣、南蛮紅毛の異図趣味をもつ詩的な作風はその自作の詩とともに多くの愛好家に親まれていた。
年譜
明治28年(1895) 4月10日、神奈川県横浜市に父川上英一郎、母小繁の長男として生まれる。
明治34年 東京市牛込区富士見小学校尋常科に入学。
明治35年 東京府立青山師範学校附属小学校に転入学。
明治40年 青山学院中学科に入学。
明治45年 中等科を修了、青山学院高等科に入学、このころ渋谷の合田清の木口木版アトリエをしり版画に興味をいだく。
大正5年 青山学院高等科を卒業。友人4人とコーラスグループをつくり、芸術座の舞台裏の合唱、新国劇の手伝いなどをする。
大正6年 父の所用もかねてカナダのビクトリアへいき滞在する。
大正7年 3月、シアトルへ行き日本人経営のペンキ店に傭われる。アラスカの鮭罐詰工場の製造人夫に契約する。10月、スケッチブック数冊を持ち、帰国する。
大正8年 日本看板塗装株式会社に入社、3月退職。日本橋の羅紗問屋暮日商店直輸部に入り、英文手紙などの仕事をする。
大正10年 栃木県立宇都宮中学校英語教師に就職、教諭心得。野球部副部長(のち退職するまで野球部長をつとめのちに栃木県中学野球の功労者として表彰された)。
大正12年 12月、宇都宮市郊外姿川村鶴田に家屋を新築し、「朴花居」と名付ける。
大正13年 11月、第4回国画創作協会展に素描「春の伏兵」を出品。
大正15年 3月、第5回国画創作協会展に木版「初夏の風」「月の出」出品。
昭和2年(1927) 自画自刻自摺の木版詩画集『青髯』(限定33部、詩4篇を含む)を出版。第6回国画創作協会展に木版画「風船乗り」「秋の野の草」「煙管五本」「蛇苺」を出品。日本創作版画協会会員となる。
昭和3年 3月、英語教員の免許を取得、栃木県立宇都宮中学校教諭となる。
昭和4年 『春日小品』『夏日小品』(限定50部)、『ゑげれすいろは』(限定50部)。
昭和5年 『ゑげれすいろは』(詩、版画二冊、やぽな書房)。
昭和6年 『伊曽保絵物語』(未製本)。恩地考四郎、前川千帆らと卓上版画展を開催。この年、日本創作版画協会は日本版画協会と改称。
昭和8年 第8回国画会展(以下、国展)に「静物」「陸海軍」出品。版画雑誌『版芸術』第17号川上澄生特集。
昭和9年 国展:「本と時計と畑管」。『変なリードル』(版画荘)。
昭和10年 国展:「静物A」「静物B」。アルファベット順英単語によせた詩と絵『のゑげれすいろは人物』(版画荘)
昭和11年 国展:「人力車二台」「人力車三台」。『少々昔噺』『りいどる絵本』(版画荘)、『ゑげれすいろは静物』(不明)。
昭和12年 国展:「裏表」「静物」「和洋風俗着せ替へ人形」。
昭和13年 国展:「風景」「風景」。小坂千代と結婚。
昭和14年 国展:「とらむぷ絵に寄せて」。『とらんぷ絵』(民芸協会)。2月長男不尽生まれる。
昭和15年 国展:「黄道十二宮」「士官一人兵士十八人」。『伊曽保の譬ばなし』『らんぷ』(アオイ書房)。
昭和16年 国展:「じゃがたらぶみ」。『じゃがたらぶみ』(民芸協会)、『文明国化従来』(アオイ書房)。
昭和17年 国展:「御朱印船」、国画会同人に推挙される。『安土の信長』、『横浜懐古』(民芸協会)、『御朱印船』(日本愛書協会)、『南蛮船記』。2月長女ふみ生まれる。3月栃木県立宇都宮中学校を退職する。木活字の制作をはじめ800字余をつくる。
昭和18年 国展:「南蛮船記」「安土の信長」。『しんでれら出世絵噺』(日本愛書会)、『黒船館蔵書票集』(黒船館)、『南蛮好み天正風俗』『いろは絵本』を制作。『幻灯』『南蛮竹枝』『いんへるの』(るしへる版)、『明治少年懐古』(明治美術研究所)、『時計』(日本愛書会)、栃木県警特高係より出頭を命ぜられる。
昭和19年 国展:「南蛮国人物図絵」「たばこ渡来記」。『へっぴりよめご』『とらんぷ絵』『山姥と牛方』『黄道十二宮』『蛮船入津』
昭和20年 3月、北海道胆振国勇振郡安宅村追分の妻の実家へ疎開、4月次女さやか誕生。6月白老郡に転居。8月、北海道庁立苫小牧中学校嘱託となる。『明治調』(はがき版5葉)。
昭和21年 第20回図展:「いんへるの」「西洋骨牌」。『ゑげれすいろは』(富岳本社)、『兔と山猫の話』(柏書店)
昭和22年 国展:「にかるの王伝」。『あいのもしり』(憲法記念展出品)、『えぞかしま』『にかるの王伝』、『瓜姫』、『長崎大寿楼』、『横浜どんたく』(日本愛書会)、『二人連』。
昭和23年 国展:「ぱんとにんふ」。12月、教え子たちの招請により宇都宮へ帰る。栃木県立宇都宮女子高等学校講師となる。
昭和24年 国展:「南蛮人図」。11月、第1回栃木県文化功労章を受賞。
昭和25年 『平戸幻想』、『銀めんこ』、『川上澄生作蔵書票作品集』
昭和26年 国展:「蛮船三艘」。『はらいそ』。3月アマチュア版画家による純刀会を結成、これを主宰する。
昭和25年 国展:「静物」「鶏」。『少年少女』(手彩色木版画と文)。
昭和28年 国展:「悪魔も居る」。詩画集『洋灯の歌』、『ゑげれすいろは人物』『新的列子』『ランプ』(竜星閣)。
昭和29年 国展:「静物」。『少々昔噺』(竜星閣)。
昭和30年 国展:「さまよえるゆだや人」「洋灯と女」。『あだんとえわ』、『あびら川』、『あいのもしり』(札幌青盤舎)。
昭和31年 国展:「蛮船入津」。『遊園地廃墟』、『我が詩篇』(竜星閣)。
昭和32年 国展:「静物」。
昭和33年 国展:「着物だけ」。『えぞがしま』(青盤舎)、『大寿楼』『二人連』(吾八)。
昭和34年 国展:「静物」。『伊曽保の譬絵噺』(改版)、『版画』(東峰書院)。2月、出版記念会を開き、白木屋にて川上澄生版画展を開催する。
昭和35年 国展:「アマゾン女人図」。『スタンダード第一読本巻一抄訳』(亜艶館)。
昭和36年 国展:「美人国」「蘭館散策図」。『雪のさんたまりあ』、『長崎』。
昭和37年 国展:「風景的静物」。『ぱんとにんふ』(吾八)、『蛮船入津』。
昭和38年 国展:「東印度会社之図」。『瑪利亜十五主義』
昭和39年 国展:「南蛮諸国」。
昭和40年 国展:「南蛮諸国」。『南蛮諸国、上・下』(吾八)、『青髯』(吾八)、『洋灯と女』(亜艶館)、『アラスカ物語』(日本愛書会)。
昭和41年 国展:「偽版えぞ古地図」。『蛮船入津』(中央公論社)、『北風と太陽』(吾八)、『平戸竹枝』。
昭和42年 国展:「蛮船」。『新版明治少年懐古』(栃木新聞出版局)、『いまはむかし』(青園荘)、『横浜』(吾八)。11月、勲四等瑞宝章を受ける。
昭和43年 国展:「横浜海岸通り」。『明治調十題』(栃木新聞社)。
昭和44年 国展:「箱庭道具」。『履歴書』(吾八)。
昭和45年 国展:「偽版古地図」、『南蛮調十題』(栃木新聞社)。
昭和46年 国展:「泰西人物」。『あだんとえわ』(栃拓)、『澄生全詩』(大雅洞)、『女と洋灯』(栃拓)、『澄生硝子絵集』(吾八)。
昭和47年 国展:「絵の上静物」。『街頭人物図絵』(吾八)。4月、妻千代死去する。9月1日死去。美達院光誉彩澄居士。
(出品作品:「」、出版:『』)

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(82-84頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「川上澄生」が含まれます。
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