齋藤素巌

没年月日:1974/02/02
分野:, (彫)

彫刻家、日本芸術院会員の齋藤素巌は、2月2日午前6時15分、老衰のため東京都世田谷区の久我山病院で死去した。享年84歳。明治22年10月16日東京に生まれた。本名は知雄。同45年東京美術学校西洋画科を卒業、大正2年渡英しロンドンのローヤル・アカデミーで彫塑を修め、同4年帰国した。6年第11回文展に「秋」を出品して入選し、第12回文展の「敗残」は特選となった。8年第1回帝展の「朝暾」を無鑑査出品し、11年、13年には帝展委員に推された。15年日名子実三と彫塑を主とする美術団体「構造社」を創立し、翌昭和2年から東京府美術館で展覧会を開催した。構造社展出品の主なものには「相」(第1回)、「タイス」(第3回)、「母子像」(第6回)、「楠木正成像」(第9回)、「豊穣」(第12回)などがある。同展覧会は18年まで継続開催したが、昭和19年戦争苛烈となって構造社を解散した。昭和10年帝国美術院会員、12年帝国芸術院会員。昭和11年文展「貝」、15年奉祝展「日は昇る」、18年第6回文展「構図」などの官展出品作があるが、戦後は専ら日展に作品を発表した。その出品年譜は次の通りである。
 昭和21年第1回日展「戦争・飢餓・甦生」、23年第4回日展「衣と食と」、24年日展運営会理事(29年常任理事)、26年第7回日展「みのり」、27年国立近代美術館評議員、28年第9回日展「自然科学者」、30年第11回日展「晦冥」、32年第13回日展「エゴイスト」、33年第1回新日展「珠」社団法人日展常務理事、35年第3回日展「沼童の一家」、38年5回日展「競技への招待」、39年6回日展「相」、40年7回日展「「老人」、41年8回日展「父と子」、42年9回日展「誕生」、43年10回日展「おちる」、44年11回日展「先人の幻覚」、46年改組第2回日展「誘惑」、47年3回日展「木の実」。
 一貫して浪漫的な主題のレリーフを得意とし、殊に構造社時代には建築と彫刻との綜合につとめた。また戦後の晩年には、その主題に社会的諷刺をもとめた場合が多い。

出 典:『日本美術年鑑』昭和49・50年版(263頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「齋藤素巌」『日本美術年鑑』昭和49・50年版(263頁)
例)「齋藤素巌 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9298.html(閲覧日 2024-04-20)

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