藤野天光

没年月日:1974/12/30
分野:, (彫)

 彫刻家・日展理事の藤野天光は、12月30日午後4時10分、急性心不全のため千葉県市川市のアトリエで急逝した。享年72歳。明治36年11月20日群馬県に生れる。本名隆秋。昭和43年大病を患い声帯摘出の手術をして快気したのを契機に、雅号を天光と改めるまでは舜正と称していた。はじめ後藤良に木彫を習い、のち北村西望に師事し、昭和3年3月東京美術学校彫刻科選科塑造部を卒業した。昭和4年第10回帝展に「時のながれ」が初入選してより、戦後の日展にいたるまで連続作品を発表、官展系の有力作家として重きをなした。その間には、昭和11年、文展鑑査展で「鉄工」が推奨となり、昭和13年第2回文展で「銃後工場の護り」が特選となった。更に戦後は年齢的にも油がのりきって一層の活躍期に入り、昭和24年第5回日展の審査員としての出品作「古橋選手」は、フジヤマのトビウオの頼もしい姿を写して話題作となり、昭和37年三度目の審査員をつとめた第2回新日展では「ああ青春」で文部大臣賞をうけ、40年第8回日展の「光は大空より」は当年度の日本芸術院賞の受賞に輝いた。
 始終、人体の解剖学的正確さを基本とする写実主義的作風を堅持しながら、敬愛する北村西望師にも通ずる一種の理想主義を若く逞しい男性像のポーズに托した大作を数多く製作した。なお、昭和6年来、市川市に居住した彼は、昭和13,4年頃より千葉県内の諸芸術文化運動にも関係し、その指導的立場にあって多大な寄与をなし、殊に晩年には県立美術館の建設促進に積極的に献身したことが特筆される。没後、従五位勲三等瑞宝章が贈られた。
略年譜
明治36年 11月20日、群馬県に生まれる。
昭和3年 東京美術学校彫刻科塑造部卒業。「首」(卒業制作)北村西望に師事する。
昭和4年 帝展に初入選する。「ときのながれ」(10回帝展)
昭和5年 「天華」(11回帝展)
昭和6年 「聖女」(12回帝展)
昭和7年 「清泉のほとり」(13回帝展)
昭和8年 「輝き」(14回帝展)
昭和11年 「鉄工」(文展・鑑査展)が推奨となる。
昭和12年 「優勝」(1回文展)
昭和13年 「銃後工場の護り」(2回文展)が特選となる。
昭和14年 ニューヨーク万国博覧会に「銃後工場の護り」を出品する。「大空」(3回文展)
昭和15年 「父にまさる」(4回文展)
昭和17年 「増産雄姿」(5回文展)
昭和19年 「一撃必殺」(臨時特別文展)
昭和20年 市川文化会結成、市川交響楽団育成,千葉交響楽団協会常任理事
昭和21年 「希望」(2回日展)
昭和22年 日本彫刻家連盟の設立に参加する。「古典と平和」(3回日展)
昭和23年 千葉県美術会を結成し常任理事となる。「玄潮」(4回日展)
昭和24年 日展審査員。「古橋選手の像」(5回日展)
昭和25年 27年まで千葉県社会教育委員会。群馬県美術会設立役員。「民主主義者 親鸞聖人」(6回日展)
昭和26年 日展依嘱。「新立」(7回日展)
昭和27年 日展審査員。「感激」(8回日展) 千葉県文化財専門委員を委嘱され議長となる。
昭和28年 日本彫刻家連盟を発展改称し、日本彫塑家倶楽部を創立、創立委員となる。市川美術会委員長。「愛」(9回日展)
昭和29年 日展運営会参事。「無心」(10回日展)「ポーズする女」(2回日彫展)
昭和30年 「希望」(11回日展)「鼠」(3回日彫展)
昭和31年 日展審査員。「冥想」(12回日展)「塊」(4回日彫展)
昭和32年 「岩上」(13回日展)「仏光」(5回日彫展)
昭和33年 社団法人日展が創立され、評議員となる。「天籟」(1回日展)「ある作家の顔」(6回日彫展)
昭和34年 日展審査員。「人生」(2回日展)「顔」(7回日彫展)
昭和35年 県立美術館設置準備専門委員を39年までつとめる。文部省文化財保護委員会文化財功労賞を受賞。「人類の祥」(3回日展)
昭和36年 この頃、千葉県印西町多聞堂の毘沙門天及び両脇侍3躰を修理する。「心眼」(4回日展)「槍を持つ男」(9回日彫展)
昭和37年 日展審査員。「ああ青春」(5回日展)で文部大臣賞を受賞,日本彫塑家倶楽部を日本彫塑会と改称、創立委員となる。「銀裸」(10回日彫展)
昭和38年 千葉県印旛村来福寺の薬師坐像1躰を修理する。「神話」(6回日展)「兎」(11回日彫展)
昭和39年 「月と語る」(7回日展)「H氏の像」(12回日彫展)社会教育功労者として市川市長感謝状を受ける。
昭和40年 「光は大空より」(8回日展)「こころみ」(13回日彫展)千葉県文化功労者・教育功労者として表彰される。千葉県文化財保護協会副会長「光は大空より」で芸術院賞を受賞。
昭和41年 千葉県美術会理事長となる。東京家政大学理事兼教授となる。「星和」(9回日展)「和」(14回日彫展)
昭和42年 「天啓」(10回日展)「裸婦」(15回日彫展)
昭和43年 声帯摘出の手術をする。舜正を天光と改める。群馬県美術会副会長となる。「希望(健康こそ幸である)」(11回日展)「恋知るころ」(16回日彫展)
昭和44年 日展が改組され日展理事となる。日展審査員。「若き日のかなしみ」(改組1回日展)「若き日の悲しみ」(17回日彫展)教育功労者として市川市長感謝状を受ける。
昭和45年 千葉県美術会会長兼理事長となる。社団法人日本彫塑会の創立に尽力する。日本彫塑会常務理事となる。「清流」(2回日展)「夢」(18回日彫展)
昭和46年 日展審査員。「長寿神像」(3回日展)「長寿」(1回日彫展)
昭和47年 「すべてを愛す」(4回日展)「夢」(2回日彫展)
昭和48年 日展評議員。千葉県で開催された第28回国体のモニュメント「輝く太陽」(男性像高さ約8メートル)及び記念メダル制作。「よくかんがえる」(5回日展)「りんご神像」(3回日彫展)
昭和49年 千葉県立美術館協議会委員を委嘱され議長となる。市原市橘禅寺仁王像2躰を修理する。「和」(6回日展)「もの思うころ」(4回日彫展)「天使」(美術館開館記念県展) 12月30日、市川市のアトリエで午後4時10分急性心不全で逝去 享年72歳 御神名 天津光留隆秋比古之命
昭和50年 従五位勲三等瑞宝章を授与される。「天使」(7回日展・遺作出品)
昭和51年 千葉県立美術館にて「近代房総の美術家たちシリーズ5藤野天光展」を開催(5月18日~6月27日)。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(336-337頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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