横山白汀

没年月日:1972/11/23
分野:, (工,木芸)

 木芸家、日展評議員の横山白汀は、11月23日午前8時30分、心不全のため富山県東砺波郡の井波厚生病院で死去した。享年71歳。告別式が26日午前10時から東別院瑞泉寺で行なわれた。明治34年(1901)5月15日、宝歴13年(1764)井波瑞泉寺再建に端を発し200有余年の歴史と伝統をもつ井波彫刻の名家、横山作太郎の長子として生れた。県立高岡工芸学校に学び、若くして美術工芸の道を志した。昭和16年第4回文展に「木目込屏風」が初入選して以来、当時堂塔彫刻を軸に産業工芸一筋に発展していた井波に美術工芸の新風を吹き込み、今日の芸術的な地位にまで高め、日展に多くの出品作家を擁する芸術の町としての名声を身をもって築き上げた先駆者的存在であった。そのように、戦後は終始日展に出品発表を続け、その間、昭和26年7回日展で「北風(三曲スクリーン)」が特選、新日展第2回(昭34)、第7回(昭39)では審査員をつとめ、昭和45年改組第2回日展「鎮魂歌〈漆〉三曲屏風」が会員中の授賞として桂花賞に輝いた。同47年3月日展評議員に推された。一方、昭和36年発足の社団法人現代工芸美術家協会にも参加し、毎年同展に作品を発表すると共に、その海外巡回展ドイツ開催の折には、代表団の一員として渡欧し1カ月半ばかりの期間にヨーロッパ11ヶ国を訪問した。晩年には同協会理事をつとめた。いうまでもなく郷土工芸美術界の振興と発展に尽くした役割と貢献は大きく、常に後進の指導育成と工芸作家の団結に心を注ぎ、井波美術作家協会、現代工芸美術協会、富山会富山県工芸作家連盟の各委員長を歴任した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和48年版(89-90頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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