田中良

没年月日:1974/12/31
分野:, (舞台美術)

 舞台美術の先駆者であった田中良は、12月31日午後11時14分、老衰のため東京・渋谷のセントラル病院で死去した。享年90歳。田中良は、明治19年(1886)10月29日、東京市麹町区に生まれ、明治37年(1904)学習院中等部に在学中、太平洋画会研究所に通い、翌38年4月東京美術学校西洋画科に入学した。同期生には池部釣、九里四郎近藤浩一路田辺至長谷川昇藤田嗣治山脇信徳などがいる。明治43年(1910)3月同校を卒業、同年の第4回文展に「牧夫」が入選し、褒状をうけた。翌44年3月に建てられた帝国劇場に、45年から背景部助手として勤め舞台美術にたずさわることになった。その後、大正3年(1914)第8回文展に「銅」を出品し入選して褒状をうけ、翌大正4年第9回文展にも「朝鮮の少女」が入選したが、以後、油彩画の制作を離れて舞台美術の研究に従事し、大正8年(1919)にはアメリカ、イギリス、フランス、イタリアの舞台美術を視察のため6ヶ月旅行し、同年10月歌舞伎座で「隅田川」の舞台装置を担当した。以降、舞台美術に専心、大正12年(1923)には宝塚歌劇団に背景部を新設して指導にあたり、昭和11年(1936)東京宝塚劇場開設とともに同劇場舞台課長に就任した。戦後は、昭和26年から29年まで早稲田大学芸術科の講師をつとめ、同29年には東横ホール顧問に就任、また、文部省芸術祭邦舞部審査員、東京新聞社主催舞踊コンクール邦舞部審査員などをつとめている。昭和33年に日本舞踊協会賞、紫綬褒章をうけ、同38年に毎日新聞特別賞、昭和49年勲三等瑞宝章をうけた。没後の昭和50年東京新聞社舞踊芸術功労賞をうけている。著書に、『舞台美術』(昭和19年)、『歌舞伎定式舞台図集』(昭和33年)、『日本舞踊百姿』(昭和49年)がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和51年版(337頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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