新村出

没年月日:1967/08/17
分野:, (学)

文化勲章受章者・学士院会員・文学博士新村出、号重山は8月17日老衰のため京都市北区の自宅で死去した。享年90才。10月7日京都市名誉市民として市の公葬が営まれた。明治9年10月4日山口市で県令関口隆吉次男として生れた。22年新村猛雄に養子入籍した。29年7月第一高等学校卒業。32年7月東京大学文科大学博言学科卒業。35年2月より東京高等師範教授のかたわら東大大学院で国語学を専攻し、37年8月より同学文学部助教授として教鞭をとった。40年1月京都帝大助教授。同年3月より42年4月まで英・仏・独に留学し、帰国後42年5月より昭和11年10月停年退官まで京大教授。その問43年文学博士を授けられ、44年10月より京大図書館長となる。大正8年9月より10月にかけて中国旅行、10年5月より12月、および昭和7年3月より7月に欧米旅行を行う。昭和3年1月帝国学士院会員、9年12月より国語審議会委員を勤めた。以後昭和12年音声学協会、13年日本言語学会、17年日本民族学協会、25年日本ダンテ学会、26年日西文化協会等の会長を歴任した。昭和19年には学術会議会員となり、31年には文化勲章授章。言語学、国語学の分野における数多くの業績については「東方言語史叢考」(昭和2年)、「東亜語源表」(昭和5年)、「国語学叢録」(昭和18年)などの他、「広辞苑」(昭和30年)などの例をまつまでもなく、ここで立入る必要はないが、美術関係では「摂津高槻在東氏所蔵吉利支丹遺物」(京大考古学研究報告7大正12年)「日本吉利支丹文化史」(地人書院 昭和16年)、「吉利支丹研究余録」(国立書院 昭和23年)などの「キリシタン」関係のみならず、「船舶史考」中に載録された「エラスムスと貨狄」「エラスムス貨狄考拾遺」などに見られるように16・17世紀のヨーロッパ文物交渉史関係全般にわたって基礎的な研究を残したことを記さなければならない。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(146-147頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「新村出」『日本美術年鑑』昭和43年版(146-147頁)
例)「新村出 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9247.html(閲覧日 2024-03-29)

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