黒田鵬心

没年月日:1967/03/18
分野:, (学)

美術評論家黒田鵬心、木名朋信は3月18日脳軟化症のため都内世田谷区の自宅で死去した。享年82才。明治18年1月15日世田谷区に生れ府立一中、第一高等学校を経て明治43年7月東京大学文科大学哲学科を卒業した。明治44年2月から大正3年2月まで読売新聞社勤務、同年より6年9月まで「趣味の友」社、児童教養研究部主宰、7年8月より13年8月にかけて三越勤務、同8月より黒田清輝の推挙で日仏芸術社をフランス人デルスニスH.D’oelsnitzと共同主宰した。日仏芸術社は昭和6年まで9回にわたってフランス美術展を日本各地と満洲国で開催して新旧のヨーロッパ美術の輸入をはかり、かたわら雑誌「日仏芸術」(大正14年7月創刊、第2巻1号(通巻7号)より荒城季夫編集)を発行して美術の啓蒙に貢献するところが大きかった。昭和4年5月から9月に同社主宰のパリ日本美術展には代表として渡欧した。一方大正14年4月から昭和24年3月まで文化学院、東京女子専門学校教授、24年4月から41年10月まで東京家政大学教授として美学・美術史学を担当した。この問都市の美観や美術に関する時事的な問題について新聞等に投書して卒直な意見を表明することがしばしばあった。(主要著書、「奈良と平泉」(大正2年)「趣味叢書」(大正3年)「美学及び芸術学概論」(大正6年)「大日本美術史」(大正13年)「芸術概論」(昭和8年)「日本美術史概説」(昭和8年)「美学概論」(昭和9年)「日本美術史読本」(昭和9年)「黒田鵬心選集」十巻他。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(142-143頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「黒田鵬心」『日本美術年鑑』昭和43年版(142-143頁)
例)「黒田鵬心 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9246.html(閲覧日 2024-04-25)

外部サイトを探す
to page top