式場隆三郎

没年月日:1965/11/21
分野:, (学)

ゴッホの研究家で異色芸術家の紹介者としても知られた医学博士式場隆三郎は、11月21日東京お茶の水順天堂病院で胃癌のため死去した。享年67才であった。精神病理学を研究し、大著「ファン・ホッホの生涯と精神病」2巻の他、数多い著作や講演、複製展など多面的な活動によって、ゴッホを日本に紹介した。それ以外にも武者小路実篤の「新しき村」運動を支持したり柳宗悦の影響下に「月刊民芸」を刊行したが、「二笑亭綺譚」に見られるように多少なりとも精神病理学的な芸術を研究対象とするところに独自性がある。世紀末芸術の鬼才ビアズレーやロートレック、あるいは18・9世紀スペインのゴヤの紹介活動もその一連のものと見ることができる。精神薄弱児童の教育活動からは山下清をクローズ・アップしたことも、特異児童に対する社会の偏見の一部を啓蒙するものとして貢献があった。
略年譜
明治31年(1898) 7月2日新潟県生
大正10年 新潟医大卒。
昭和4年 医学研究、ゴッホ研究のため欧州視察、西欧の民芸の基礎的調査中、医学博士の学位をうける。
昭和7年 静岡脳病院長として勤務中「ファン・ホッホの生涯と精神病」2巻を聚楽社より刊行。
昭和9年 「バーナード・リーチ」(建設社)、「テオ・ファン・ホッホの手紙」(向日庵)。
昭和10年 ポール・ガッシェ編『印象派画家の手紙』翻訳
昭和11年 市川市国府台に式場病院を創立。
昭和14年 「月刊民芸」を刊行、「二笑亭綺譚」(昭森社)。
昭和15年 文化映画「琉球民芸」「琉球の風物」。
昭和16年 「焔と色」(S,ポラチェック著ゴッホ伝記小説翻訳、牧野書房)。
昭和17年 「ロートレック、生涯と芸術」(二見書房)。
昭和18年 「宿命の芸術」(昭和刊行会)
昭和21年 日刊新聞「東京タイムズ」創刊。日本ハンドボール協会会長に就任。
昭和23年 「長崎の鐘」(永井隆著、日比谷出版)を世に出す。
昭和24年 厚生省中央優生保護委員、日本精神病院協会理事に就任。
昭和25年 東京社会保険協会、労働省婦人少年局委員となる。「ゴヤ(H.ストークス著の抄訳)」(山雅房)。
昭和26年 ゴッホ伝記小説「人生の情熱」(三笠書房)。劇団民芸公演ゴッホ劇「炎の人」製制委員長、ゴッホ展、ロートレック50年祭展を開催。総理府青少年問題協議会委員となる。
昭和27年 P.ラミュール著ロートレックの伝記小説翻訳「ムーラン、ルージュ」(新潮社)。前年より創芸社近代文庫に「ゴッホの手紙」全4巻を翻訳刊行。
昭和28年 ゴッホ誕生100年記念祭を開催。ゴッホ記念展。「ゴッホ巡礼」「ゴッホ画集」(3巻)
昭和29年 「ヴァン・ゴッホ」(新潮社)、国立松方コレクション美術館建設連盟副会長に就任。募金のためゴッホ展。ロートレック展。講演会を開催。
昭和31年 「山下清画集」(新潮社)。
昭和30年 山下清作品展全国各地で開催はじめる。
昭和33年 「はだかの大将」(東宝映画)監修。「山下清ぶらりぶらり」(文芸春秋社)。
昭和34年 「ロートレック」(現代伝記全集30、日本書房)。
昭和36年 山下清をつれて渡欧。滞欧作品展。「ヨーロッパぶらりぶらり」(文芸春秋社)。
昭和39年 財団法人日本近代文学館に白華文献千余冊寄贈。
昭和40年 「炎の画家ゴッホ」(角川写真文庫)。決定版「二笑亭綺譚」(今野書房)。藍綬褒章授与さる。他に著書として「ビアズレー・生涯と芸術」、「マルキ・ド・サド、(評伝)」(昭森社)、「サド侯爵夫人」「ゴッホの素描(評伝と画集)」(アトリエ社)、「夜の向日葵(テオの手紙・向日庵版の増訂版)」(畝傍書房)、「ヴァン・ゴッホ(研究・戯曲・画集)」(美術発刊所)「光の信者・上(デ・フリース著レンブラントの伝記翻訳)」(冬至書店)、「琉球の文化」(日新書院)、「天才の発見」(山雅房)。

出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(103-104頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「式場隆三郎」『日本美術年鑑』昭和41年版(103-104頁)
例)「式場隆三郎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9227.html(閲覧日 2024-03-29)

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