湯川尚文

没年月日:1968/10/23
分野:, , , (洋,美術教育)

日本童画会会員、創造美術教育協会委員の美術教育家の湯川尚文は、10月23日、胆石のため死去した。湯川尚文は、明治37年(1904)5月22日、東京都に生まれ、東京豊島師範学校第二部を卒業、日本美術学校にも在学した。東京都文京区根津小学校に勤務し、20余年間にわたって児童の美術教育を担当して昭和29年退職した。以後、新宿区戸塚第1中学校美術科講師となった。この間に、日本水彩画会展、光風会展、日本童画会展にも出品したが、独立美術展には昭和7年第2回展から出品入選し、「卓上」(2回展)、「ギターその他」(4回展)、「機械を配せる風景」(5回展)、「樹木とオートバイ」(6回展)、「海浜と網」(7回展)、「建物」(8回展)、「廃墟」(12回展)、「画室の一隅」(17回展)などの作品を発表した。また、美術教育に関する評論、解説などを教育雑誌、美術雑誌に寄稿し、図工科教科書の編集にも従事し、国際学童水絵展(朝日新聞社主催)、「母と子」の児童展(森永製菓K.K.主催)、世界学生美術展(日本ユネスコ美術教育連盟)などの審査員をつとめた。著書に「児童と絵画」(綜合美術研究所)、「絵をかく子供」(誠文堂新光社)、「生きている児童画」(大蔵出版)、「図工科」(岩波教育講座・第6巻)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(68-69頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「湯川尚文」『日本美術年鑑』昭和44年版(68-69頁)
例)「湯川尚文 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9219.html(閲覧日 2024-03-30)

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