油谷達

没年月日:1969/12/06
分野:, (洋)
読み:あぶらやたつ

 洋画壇の耆宿、油谷達は12月6日午前7時老衰のため、東京都目黒区の自宅で死去した。享年83歳。明治19年11月22日東京日本橋区の国定教科書出版の元祖であり、またコロタイプ印刷図版の先駆をなした「東洋美術」の出版元であった博文堂、原田庄左衛門の次男に生まれた。のち油谷家を嗣ぎ姓が変った。富士見小学校、商工中学を経て東京美術学校西洋画本科(同期生に明治43年3月卒業の藤田嗣治田辺至池部鈞らがいた)に入学したが中退した。大正7年から兵庫県川辺郡に移住し、以来昭和41年東京へ帰住するまで、特に戦前、関西在住の官展系有数の洋画家として知られた。大正10年第3回帝展で「初秋の湖畔」が初入選してより、帝展、文展と官展に作品を発表し続け、昭和6年には帝展無鑑査となった。また大正13年3月には、田辺至牧野虎雄、斎藤与里、高間惣七大久保作次郎らとともに槐樹社を起し、その会員となって、昭和6年同社解散までは専ら同展により作品を発表した。解散後は同志会員だった人々が旺玄社や東光会など、それぞれ新たに団体をつくったが、そのいずれの会からの誘いをも断って、専ら官展一途に発表を続けた。戦後の晩年は中央画界に作品を発表せず、ただ個展の開催は主に戦前にさかのぼるが終始20回に及んだ。
 代表作には、「大阪駅」(大正11年作、第一貴賓室に寄贈)、「夏の日」(大正13年、第5回帝展)、「花畑」(昭和3年、第9回帝展)、「室内」(第10回帝展)、「郊外の或る日」(第12回帝展)、「モデル人形のある静物」(昭和12年、第1回新文展)等がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(68頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「油谷達」『日本美術年鑑』昭和45年版(68頁)
例)「油谷達 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9214.html(閲覧日 2024-03-29)

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