多々羅義雄

没年月日:1968/12/10
分野:, (洋)

 光陽会々長、洋画家多々羅義雄は12月10日、心不全のため東京神田の同和病院で逝去した。享年74歳。多々羅義雄は明治27年9月18日福岡県能古ノ島に生まれた。同44年佐賀に出て青木繁に師事。45年上京、満谷国四郎に学び、また太平洋画会研究所に入った。そのご本郷研究所にも学んだ。大正2年第7回文展に「南の海」が初入選となり、第8回展に「夕陽の村」「伊豆の海辺」が入選、9回展で「海岸の山」が褒状となり、第12回展で「上総の海」が特選となった。文展から帝展へと出品をつづけ第11回帝展から無鑑査待遇となっている。昭和4年から太平洋美術学校教授として約4年間勤め25年太平洋画会代表となった。29年新に光陽会を創立、会長として晩年を送った。41年光陽会第14回展出品作に対し、文部大臣奨励賞、光陽会功労賞をうけている。昭和10年前後、毎年朝鮮、中国、満州、台湾方面に旅行、写生をつづけた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(70頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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