川村信雄

没年月日:1968/11/18
分野:, (洋)

 太平洋美術会会員の川村信雄は、11月18日午前7時50分、横浜市立医大附属病院にて脳軟化症のため死去した。享年76才。川村信雄は、明治25年(1892)9月18日熊本市に生まれ、東京富士町小学校をへて、東京開成中学校に進んだが病気のため中退し、明治41年太平洋画会研究所に入り洋画を学ぶ。この頃、川上涼花ら『紫紅』という廻覧雑誌をつくり、約150号続け、また展覧会を開催した。大正元年、斎藤与里、高村光太郎、岸田劉生らとフュウザン会を結成、第1回展に「女と瓦斯の光」「真夏の日」「肖像」「トマトとバナナと」「静物」「別れ」「ダリヤ」「百合花」を出品、翌2年の第2回展に「伊豆の冬」「冬」「静物」「伊豆山」「自画像」「風景」を出品した。フュウザン会解散後は、大正5年斎藤与里、硲伊之助らと日本美術家協会をつくり展覧会を開催、また大正3年から文展、帝展に出品した。大正8年横浜美術協会創立に参加したが、大正12年大震災の直後、横浜貿易新報社長三宅磐の依頼をうけて、川端童子、石井柏亭岡田三郎助らを招き、横浜桜木町駅前興産館(現、市民ギャラリー)で展覧会を開催した。大正14年横浜弘明寺に川村画塾を開設。昭和8年満州に旅行し、朝日新聞神奈川版に画報紀行を寄稿、同13年横浜市の使節として北中国地方の傷病兵を慰問旅行する。昭和13年太平洋画会会員となり、戦後も太平洋画会委員、神奈川県美術家協会会員として活躍し、昭和40年には横浜文化賞を受賞した。主要作品:「葡萄棚のある家」(帝展出品)「養蜂園」(帝展)、太平洋画展出品作品:「山村の春」昭和27年、「夏の静物」同28年、「芍薬」同29年、「塔」同32年、「奈良の家根」同35年、「浄瑠璃寺曼荼羅」同36年、「桜島」同38年、「早春の唐松」同40年など。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(85-86頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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