山川勇一郎

没年月日:1965/11/12
分野:, (洋)

 一水会会員・日本山岳画協会会員の洋画家、山川勇一郎は11月12日、チリ国のロ・バルデス・アンデス連峰で遭難、全身凍傷のため死亡した。享年66才。山川勇一郎は明治42年(1909)4月26日、神戸市に生れ、神戸第一中学校を経て昭和9年に東京美術学校西洋画科を卒業、一水会に出品、昭和16年応召、同18年現地除隊となりそのまま中国にとどまって北京を中心にして華北で制作、このころ北京で安井曽太郎に接してこれに師事。昭和21年帰国、同22年一水会会員に推挙され、また安井曽太郎門下生による連袖会に参加した。美校時代から登山をよくし、昭和33年には深田久弥らと「ジュガール・ヒマール探査隊」を組織してヒマラヤ地方に旅行し、昭和34年第21回一水会展に「ランタン・ヒマール」「ドルジェ・ラクパ」を出品して会員優秀賞を受賞した。昭和39年3月単身チリに赴き、4月チリ着。その後、サンチャゴに滞在し、ボリビヤ、ペルー、アルゼンチンなどを旅行、昭和40年11月大阪府岳友クラブ中央アンデス登山隊に同行してサンチャゴを発し、11月9日セントラル・アンデス、ロンバルデス地区のC1キャンプからC2キャンプに向う隊員と同行、中途より作画のため同行隊員と別れ単身キャンプに向ったあと消息をたち3日後の12日、雪原のなかの経40cm深さ23cmのクレバスのなかに遭難しているのをチリ山岳連盟、チリ国空軍ヘリコプターなどの協力によって発見され、救出されたが全身凍傷甚しく、同日17時30分絶命した。昭和41年3月2日~9日、東京新宿・伊勢丹において遺作展が開催された。
主要作品 裸婦立像、和服の女(昭和13年2回一水会展)、座像(3回一水会展)、画室の朝食、小憩(9回一水会展)、連雲港(14回一水会展)、造船所(17回一水会展)、ランタン・ヒマール、ドルジェ・ラクパ(21回一水会展)、サンチャゴの裏街、朝のアンデス連峰(昭和40年・遺作展)。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(151-152頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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