山喜多二郎太

没年月日:1965/05/24
分野:, (洋)

 日展評議員、光風会理事山喜多二郎太は、5月24日心筋こうそくの為逝去した。享年68才。明治30年1月5日福岡県直方市で生れた。大正4年東京美術学校に入り藤島教室に学んだ。7年には寺崎広業に師事。大正9年東京美術学校を卒業した。同年第2回帝展に「子供」が初入選となり、以後6.8.9.11.12.13回と出品入選をつづけている。光風会展にも大正時代から出品し、昭和4年第16回展で会友、昭和9年会員に推され昭和33年理事となった。官展系作家で、戦後は光風会の他日展に作品をおくり、晩年は日展評議員であった。昭和2年、中国に遊学しているが、洋画に水墨画の手法をとり入れた独特の画風で知られた。
略年譜
大正9年(1920) 第2回帝展「子供」。
大正14年 第6回帝展「静物」。
第12回光風会展「静物。
昭和2年 第8回帝展「室の一隅」。
昭和4年 第16回光風会展「観音」「室内の静物」。
昭和7年 第13回帝展「画室にて」。
昭和9年 第15回帝展「二人の女」(特選)。
第21回光風会展「静物」。
昭和10年 第二部会第1回展「写生」特選。
昭和12年 第1回文展「庭にて」。
昭和13年 第2回文展「むすめ」。
昭和14年 第3回文展「キモノ少女」。
戦後の21年、第1回日展以後の同展出品作を略記すると、25年(7回展)「林檎畑の丘」。26年(8回展)「アトリエ」依嘱出品。29年(11回展)「雨後」審査員をつとめる。30年(12回展)「漁港」依嘱作品。31年「13回展」「田を耕す」。
尚、33年社団法人として発足後の「日展」には評議員となって1回展「描く人」、5回展「春が潜む」、6回展「伊勢の漁港」第7回展「燈台のある丘」などを発表している。

出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(112-113頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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