中沢弘光

没年月日:1964/09/08
分野:, (洋)

 洋画家、日本芸術院会員、帝室技芸員、文化功労者中沢弘光は、9月8日東京文京区の日本医科大病院で老衰のため逝去。享年91才。明治7年東京芝に生れた。若くして曽山幸彦に師事し、のち堀江正章、黒田清輝に学んだ。はじめ明治美術会に出品したが、明治29年黒田らの白馬会結成に参加し、これに多くの作品を発表した。また同年東京美術学校西洋学科選科に入学し同33年卒業した。明治40年第1回文展以来、始終帝展に発表し、初期文展では度々受賞、同43年から審査員となった。大正8年からは帝展の審査員をつづけ、昭和5年帝国美術院会員、同12年帝国芸術院会員、同19年帝室技芸員となった。戦後も日展に出品、同32年文化功労者となり、日展顧問であった。そのほか、光風会、白日会、日本水彩画会等の長老として重きをなした。その作風は、甘美な抒情性をたたえている。主なものに「おもいで」(国立近代美術蔵)「まひる」(同前)「かきつばた」(同前)、「野路(露)」(同前)「花下月影」(同前)「鵜飼」(宮内庁蔵)「鵜の森」(東京都美術館)、「静思」(東京芸大蔵)等がある。
略年譜
明治7年 8月4日元日向佐土原藩(元島津仮)の藩士を父として東京芝に生る。
明治20年 曽山(大野)幸彦の画塾に入る。
明治24年 大野氏没後堀江正章の指導を受く。
明治26年 明治美術会へ「上己」初出品。
明治29年 東京美術学校西洋画科選科入学、白馬会の結成に参加。
明治33年 東京美術学校卒業。パリ万国博覧会に「猿廻し」出品。
明治37年 白馬会第9回展「裸体、霧」。
明治38年 白馬会第10周年記念展「冬の山麓」。
明治40年 東京勧業博覧会に「嵐のあと」出品、一等賞。
明治40年 第一回文展に「夏」出品、三等賞。ほか「森の一隅」「冬」出品。
明治41年 第二回文展に「雄鹿半島の一角」出品三等賞。ほか「雄鹿半島の地蔵岩」「怒濤」出品。
明治42年 第三回文展に「おもいで」出品、二等賞ほか「まいこ」出品。
明治43年 文展審査員となる。第四回文展「まひる」「温泉」出品。
明治44年 第五回文展に審査員として「嵯峨のほとり」「暖炉の前」「奈良の晩春」出品。
明治45年(大正1年) 白馬会解散の後、杉浦非水、三宅克巳、山本森之助ら7人と光風会を結成し、この年6月第1回展を開く。第6回文展に審査員として「岸の丘」「乳の祈願」「皷」出品。
大正2年 第7回文展に審査員として「海苔とる娘」「水に近く」出品。
大正3年 第8回文展に「ながれ」「女滝」「灯」を無鑑査出品。
大正4年 第9回文展に「ゆく春」「夏の人」「三つの思い」を無鑑査出品。
大正5年 第10回文展に「春日の神子」「青き光」を無鑑査出品。
大正6年 第11回文展に「朝鮮歌妓」「帰途」を無鑑査出品。
大正7年 第12回文展に「かきつばた」「桃咲く丘」を無鑑査出品。
大正8年 帝展審査員となる。第1回帝展に「ひやけ」「光明」出品。
大正9年 第2回帝展に審査員として「野路」「春」出品。森脇忠と共著「スケッチの描き方」、(アルス社)
大正10年 第3回帝展に審査員して「壁に凭りて」「湖上にて」出品。
大正11年 欧州遊学。約1年余フランス、イタリア、イギリス、スペインを巡歴。
大正12年 帰国。
大正13年 白日会を同志と結成。第5回帝展に委員として「休息」「裸体」出品。
大正14年 第6回帝展に委員として「温泉」「おどりの前」出品。
大正15年 第7回帝展に委員として「花下月影」「洋装」出品。
昭和2年 第8回帝展に委員として「ヤシマツクを着けたる女」「海」出品。
昭和3年 第9回帝展に審査員として「染井のほとり」出品。
昭和4年 第10回帝展に審査員として「雪の追憶」出品。
昭和5年 帝国美術院会員となる。第11回帝展に「峡谷温泉」出品。
昭和6年 第12回帝展に「散華」出品。
昭和7年 第13回帝展に「汐汲」出品。
昭和8年 第14回帝展に「更くる夜」出品。
昭和9年 第15回帝展に「奈良所見」出品。
昭和11年 文展招待展に「鵜飼」出品。
昭和12年 帝国芸術院会員となる。第1回文展に「嶋の鴎」出品。
昭和13年 第2回文展に「北京万字楼」出品。
昭和14年 第3回文展に「夜光虫ひかる」出品。
昭和15年 奉祝展「鵜の森」
昭和16年 第4回文展に「静思」出品。
昭和17年 第5回文展に「歓喜」出品。
昭和18年 第6回文展に「波切り」出品。著書「屋根窓」(有光社)
昭和19年 帝室技芸員拝命。戦時特別展に「山上朝拝出品。著書「回想の旅」(教育美術戦興会)
昭和21年 第1回日展に「春来る」、第2回日展に「夜明け」出品。
昭和22年 第3回日展に「微笑」出品。
昭和23年 第4回日展に「化粧」出品。
昭和24年 第5回日展に「蓮露」出品。
昭和25年 第6回日展に「女子信教」出品。
昭和26年 第7回日展に「静聴」出品。
昭和27年 第8回日展に「斗花」出品。
昭和28年 第9回日展に「鶴の踊り」出品。
昭和29年 10回日展に「誘惑」出品。日本橋三越にて米寿記念展を開き初期よりの代表作約110余点陳列。
昭和30年 第11回日展に「仏都、寧楽」出品。
昭和31年 第12回日展に「月のぼる」出品。
昭和32年 第13回日展に「蜑今昔」出品。文化功労者に列す。
昭和33年 第1回日展に「初ちぎり」出品。社団法人日展顧問となる。
昭和34年 第2回日展に「尼僧」出品。
昭和35年 第3回日展に「清水音羽の港」出品。
昭和36年 第4回日展に「金堂拝観」出品。
昭和37年 第5回日展に「裸婦」出品・
昭和38年 第6回日展に「京の一日」出品。
昭和39年 5月勲3等旭日章を受章。9月8日逝去。正四位に叙せらる。

出 典:『日本美術年鑑』昭和40年版(136-137頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「中沢弘光」が含まれます。
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