清水敦次郎

没年月日:1962/07/07
分野:, (洋)

 示現会員清水敦次郎は7月7日死去した。68才。明治27(1894)年8月15日新潟県三条市に生れた。大正4(1915)年太平洋画会研究所に入り、同7年12回文展に「寺島の工場」が初入選し、9年2回帝展に「畔の木」、8回帝展に「並木」、紀元2600年奉祝美術展には「山の牧場」、昭和19(1944)年6回文展に「和尚台」などを出品し、戦後は昭和21年1回日展に「木曽の巌」を出品し、2回「水車への流れ」は特選となり、3回「木曽谷の魚」4回「春ゆく木曽谷の三岳」、5回「木曽川の源泉」、6回「木曽の谷間」、7回「田への谷水」、8回「春間近か」、9回「昼の神苑」、10回「神域」、11回「急湍」、12回「爽風渡る」を出品し、5回展以後は出品依嘱となる。財団法人となってからの日展には1回「泉」、2回「湲泉」、3回「苔動く」、5回「湲谷」を出品した。なお昭和22年には示現会創立会員となり、3回「木曽御岳」、「時雨」、4回「雪どけ」、12回「地吹雪」、14回「岩を縫う」、15回「湲韻静か」(1962)などを出品している。個展は37年まで20回開催した。彼は昭和10年から22年まで太平洋画会員であったが、29年示現会を結成した。この間昭和16年には三井コレクション嘱託となり、同19年には東洋高等女学校で教鞭をとった。同25年には白土会をつくってその同人となった。画風は太平洋画会出身らしく終始地味で刻明で、やや冷たい写実主義に基く風景画で通した。山林美術協会にも関係していた。ことに戦後は長野県西筑摩郡に独居して信州の山や渓谷を好んで描いた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和38年版(138-139頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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