若山為三

没年月日:1961/01/28
分野:, (洋)

春陽会々員若山為三は、1月28日午前4時10分東京都世田谷区の自宅で脳内出血のため死去した。享年66歳。明治26年3月30日広島市に生れ、広島県立忠海中学を中途退学して同42年上京、同43年太平洋画会研究所に入って満谷国四郎に洋画の指導をうけた。大正11年渡仏し、5月パリのアカデミー・ランソンでモリス・ドニに就き、またアカデミー・グランショミエールでシャルル・ゲランに同13年初めの帰国まで学んだ。同14年第3回春陽会展に初出品し、昭和2年第5回春陽会展に、「浴後の幼児」他4点で春陽会賞を受けた。同5年第8回展にて、それまでの受賞者として無鑑査推挙となり、同9年春陽会々員に推挙された。以後死去に至るまで春陽会展に専ら作品を発表した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和37年版(122頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「若山為三」『日本美術年鑑』昭和37年版(122頁)
例)「若山為三 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9125.html(閲覧日 2024-03-29)

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