杉浦非水

没年月日:1965/08/18
分野:, , , (日,デザイン)

 光風会会員、多摩美術大学名誉教授の日本画家・図案家杉浦朝武(号・非水)は、8月19日午後7時30分、老衰のため藤沢市の自宅で死去した。享年89才。明治9年(1876)愛媛県松山市に生れ、松山中学在学中に絵画の手ほどきをうけ、明治30年上京して川端玉章に師事した。34年東京美術学校日本画科卒業。黒田清輝に私淑し、34年欧州旅行から帰国した黒田のもたらしたアール・ヌーヴォー様式に感動して図案研究を志す。大阪三和印刷所、東京三越、都新聞社などの意匠図案を担当し、劇場の緞帳図案、雑誌表紙、ポスターなどを作成する。45年には光風会の創立に参加、また図案研究団体を創立し、デザイン運動をおこすなど多彩な活躍をなした。美術教育にもたずさわる。工芸図案界の先覚者として長年の功績に対して昭和29年度日本芸術院恩賜賞をうけた。
主要作品
三越-みつこしタイムズ表紙、長岡座緞帳図案、緞帳図案孔雀の図(旧帝劇)、三越新築のためのゼセッション風の美人ポスター、蝶のダンスポスター(三越)、新宿三越落成ポスター、京城三越落成ポスター、銀座三越落成ポスター
七人社出品作品-窓、デプレダシォン、人魚のポスター、裸婦の図、七面鳥、浅間四題
光風会出品作品-図案風猫の絵(宮内庁)、群鶏屏風、ペリカン屏風、浅間高原、夕の清洲橋、七面鳥、あすは雨か(浅間山残雪風景)、鵜
其の他-長良川鵜飼と納涼ポスター、地下鉄ポスター(五種)、勧業債券ポスター(五種)、明治・大正名作展覧会ポスター、産業組合ポスター(五種)、陸軍展ポスター
専売局-響、パロマ、桃山、光、扶桑、日光のタバコ図案
著書(大正3年以降)
非水図案集 非水の図案 しぼりの図案 非水花鳥図案集 非水一般応用図案集 非水創作図案集 非水百花譜(全20輯) 実用図案資料大成(全8巻・渡辺素舟共著)
略年譜
明治9年(1876) 5月15日愛媛県松山市に生れる。
明治29年 松山中学校卒業、在学中に四条派の画家松浦巌暉に師事。
明治30年 5月上京、川端玉章に師事、天真画塾に入り黒田清輝に洋画を学ぶ。9月東京美術学校日本画撰科に入学。
明治33年 東京外国語学校仏語別科に入学。
明治34年 東京美術学校卒業。
明治34年 東京外国語学校修了。5月帰国した黒田清輝のもたらしたアール・ヌーヴォー様式に感激し図案研究を志す。
明治35年 黒田清輝の推薦により大阪三和印刷所図案部主任に就職。11月大阪商船株式会社嘱託。
明治36年 三和印刷所解散のため退職。大阪開催の第5回内国勧業博に出品。
明治37年 4月島根県第二中学校教諭として浜田に赴任。
明治38年 11月島根県第二中学校教諭辞職、上京。
明治39年 11月都新聞社に入社。意匠図案を担当。
明治41年 東京三越の招聘により図案部嘱託として入社、中央新聞を兼任(43年まで)
明治43年 三越図案部主任となる。
明治45年 3月日比谷図書館主催にて自作の書籍装幀・雑誌表紙図案展覧会を開催。6月中沢弘光、山本森之助ら6名と光風会を創立する。
大正2年 国民美術協会創立、絵画部・装幀美術部・学芸部会員となる。
大正10年 日本美術学校図案科講師となる。カルピス株式会社美術顧問となる。
大正11年 11月図案及び絵画研究のため欧州に遊学、パリを根拠地としてドイツ、イタリア、オランダ各国を巡遊する。
大正13年 帰国・図案研究の団体七人社を創立・主宰する。
大正15年 七人社創作図案第1回展を三越において開催、その後毎年開催、10回に及ぶ。雑誌「アフィッシュ」を発行しデザイン運動をおこす。
昭和4年 帝国美術学校創立され工芸図案科長に就任する。
昭和9年 三越嘱託を辞職する。
昭和10年 帝国美術学校を退職。多摩帝国美術学校を創立、校長兼図案科主任教授となる。
昭和13年 専売局図案嘱託となる。
昭和19年 太平洋戦争のため軽井沢に疎開する。
昭和24年 疎開地帰京。
昭和25年 多摩美術短期大学理事長図案科主任教授となる。東京都広告物審議会委員に任命される。
昭和26年 文部省社会教育局通信教育審議会委員を嘱託される。
昭和28年 多摩美術大学理事長兼図案科主任教授となる。
昭和30年 芸術院恩賜賞(29年度)を授賞。
昭和33年 紫緩褒章をうける。
昭和35年 夫人翠子死去。
昭和40年 勲四等旭日小緩賞を叙勲。
昭和40年 5月米寿記念杉浦非水日本画展を日本橋三越で開催する。8月18日死去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和41年版(105-106頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「杉浦非水」が含まれます。
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