須田珙中

没年月日:1964/07/10
分野:, (日)

 日本美術院同人の須田珙中(本名善二)は、7月10日食道ガンのため文京区の自宅で死去した。享年57才。明治41年1月21日福島県岩瀬郡に生れ、昭和9年東京美術学校日本画科を卒業した。在学中の昭和7年第13回帝展に「白河の夏」が初入選となり、翌8年同展に「秋」が入選、この年松岡映丘に師事した。同9年第15回帝展に「高原」が入選した。昭和11年の改組文展には「渓の葉月」を出品し、同13年には松岡映丘の死去により前田青邨門下となった。この後も官展への出品をつづけ昭和15年2600年奉祝展「梢」、同16年第4回文展「南覇の井」、同5回「楽士」などがあり、第6回文展「琉球」では特選となり、政府買上となった。戦後は昭和21年第2回日展「ピアノ」、同3回「燁燭」、同5回「夕映」、同6回展「浴女」(依嘱出品)などがあるが、昭和26年には東京芸術大学美術学部講師となった。翌27年には長年出品をつゞけた日展を脱退し、日本美術院に所属し第38回院展に「牛」を出品し、佳作賞、白寿賞を得た。また同34年には芸大助教授となり、同38年には大学院研究科生等も指導し、後進のため尽力した。尚昭和36年には日本美術院同人となったが、院展での主な作品には第40回展「馬」(奬勵賞・白寿賞)、同41回展「山水石組」(日本美術院次賞・大観賞)、42回展「念持仏」日本美術院次賞・大観賞)、43回展「深海曼陀羅」、44回展「篝火」(日本美術院賞・大観賞)、45回展「正倉院」(日本美術院賞・大観賞)などがあり、穏健な近代的傾向を帯びたアカデミックな作風を示した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和40年版(132頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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