菅楯彦

没年月日:1963/09/04
分野:, (日)

 日本画家で関西画壇の長老である菅楯彦は、4日肝硬変のため大阪市の自宅で死去した。享年85才。本名藤太郎。明治11年3月4日日本画家菅盛南の長男として鳥取市に生れた。幼時父母に従い大阪に移り、明治22年父の病気により高台小学校高等小学科第2年を中退し、絵筆により一家を支えることになった。終生画道の師につかず独学で研究をすすめたが、その間大和絵、四条円山、北南宋、狩野派、浮世絵等、実地研究の他国学を本居派鎌垣春岡に、漢学を山本憲に就いて学び、併せて仏教美術史、宗教史等の研究も積んだ。ことに鎌垣師には有職故実を学び、後年歴史画を描く基礎をつくった。又雅楽を好み、舞楽を習って、晩年は四天王寺舞楽協会長を勤め、伝統の雅楽保存に貢献した。明治33年より37年迄大阪陸軍幼年学校歴史科画事嘱託となり、ここで多くの歴史参考図を製作した。作品は、きめの細い大和絵風の歴史画や、洒脱な大阪の庶民風俗に画材を求めたものが多い。昭和24年に大阪府芸術賞、同26年大阪市民文化賞のほか、同33年には日本画家としては最初の芸術院恩賜賞を授与された。また同37年には初の大阪名誉市民に選ばれた。
略年譜
明治11年 3月4日 鳥取県に生れる。
明治22年 大阪高台小学校高等小学第2年中退。この頃より絵筆により一家を支えた。
明治33~37年 大阪陸軍幼年学校歴史科画事嘱託となり、多くの歴史参考図を製作した。
大正12年 東京三越にて個展開催。
昭和4年 「春宵宜行」(仏国政府買上)日仏展出品。
昭和10年 明治神宮聖徳絵画館壁画制作「皇后冊立」。
昭和24年 大阪府文芸賞受領。
昭和26年 大阪市文化賞を受ける。「山市朝雨」日展招待出品。
昭和33年 日本芸術院恩賜賞を受ける。
昭和37年 大阪市名誉市民にえらばれる。
昭和38年 9月4日没す。
代表作
明治神宮絵画館壁画、「菊池千本槍」(大阪市立美術館)他、鏑木清方と共著の画集「東京と大阪」(毎日新聞社刊)などがある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和39年版(135-136頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「菅楯彦」が含まれます。
to page top