福永晴帆

没年月日:1961/01/12
分野:, (日)

日本画家福永晴帆は、1月12日老衰のため、鎌倉市の自宅で死去した。享年80歳。明治16年5月15日山口県厚狭郡に生れ、同30年京都に出て森寛斎に師事した。明治41年伊藤博文に随行し、朝鮮、北京、上海を巡遊、43年には香港より欧州に渡り、英国ヴィクトリア美術学校に学ぶ。其後巴里に在って水彩、油絵を学び、大正4年帰国した。その年東京下谷に居を定め、文展に日本画を出品し、入選している。その後昭和に入って内親王方に花島画を献上し、又依頼され、東京商工会議所会議室に「桜と菊花」を描き、また靖国神社、仁和寺、伊勢、橿原、熱田神宮等に襖絵がある。戦後は、24年より10年程日本橋高島屋に毎年個展を開いていた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和37年版(122頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「福永晴帆」『日本美術年鑑』昭和37年版(122頁)
例)「福永晴帆 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9061.html(閲覧日 2024-04-20)

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