久保孝雄

没年月日:1967/03/12
分野:, (彫)

 彫刻家、新制作協会会員の久保孝雄は、3月12日午前1時30分、十二指腸乳頭部ガンのため仁和会八王子病院で死去した。享年49才。告別式は3月13日府中市の自宅で新制作協会葬として行なわれた。大正7年2月17日東京・新宿区に生れた。早稲田中学を経て、昭和13年3月第二早稲田高等学院を卒業し、更に同年4月東京美術学校彫刻科に入学、同17年9月同校を卒業し、まもなく軍隊へ終戦で復員するまで応召した。美校卒業直前の第29回二科展には「Nの首」が初入選したが、本格的な製作活動は戦後まで延期される。昭和22年第11回新制作派展に「刑務官吏の像」が初入選し、以来20年近く新制作に終始所属し、27年には会員に推挙されたが、戦後の混乱期のなかでのスタートは、清新な感受性が好評で、むしろ順調な進展ぶりをみせた。彼が会員に推された頃からは、戦後学校を出た新人たちが活躍しはじめ、先輩も含めて彼の周囲からは抽象彫刻が現われ出し、更に彫刻に対するものの考え方がはげしくゆれ動いた時期であったが、彼はそうした動きに強い関心を寄せながら、質実な写実的作風を頑強に固執するところがみられた。加えて、第18回展(昭29)「ボス」、第20回展「貯金箱」、第22回展「敗け鬼」「捕われた鬼」などには諷刺的で彼独特の自虐内攻型の製作態度がうかがわれ、第25回展(昭36)「真夜中の椅子」になると、意識的に一種のシュールレアリズムヘの志向をみせた。そのように基本的にはマッシヴな量塊の構築にありながら心理的な陰影をこめた作品に特色を示した。晩年の39年、第6回現代日本美術展でコンクール賞を獲得した「留学生M」(ブロンズ)や第7回現代展(41年)出品の「Jの首」(木彫)など、従来の堅実な写実から一歩進めて確信にみちた彼独自のフォルムを示し始めながら、中絶してしまったことは誠に惜しまれる。
作品年譜
昭和17年 現代彫塑院「胸像」努力賞。第29回二科展「Nの首」入選。
昭和22年 第11回新制作派展「刑務官吏の像」初出品東京駅大レリーフ制作。
昭和23年 八王子市立第5中学校奉職。第12回新制作派展「Mさんの肖像」出品。
昭和24年 5月、第3回美術団体連合展<毎日新聞社>「男の首」出品。7月、八王子第5中学校退職。第13回新制作派展「Uの顔」新作家賞受賞。
昭和25年 サロン・ド・プランタン出品佳作賞。第14回新制作派展出品。
昭和26年 第15回新制作展「少女の首」「O君の胸像」出品。
昭和27年 第16回新制作展「俘囚習作」「彫刻家N」「農夫H」出品、会員に推挙さる。
昭和28年 第17回新制作展「首」「坐像」出品。「牧野富太郎博士像」。
昭和29年 新制作協会会員展「上林さん」出品。第18回新制作展「ボス」出品。「野上豊一郎博士像」「大内隼人氏母堂像」。
昭和30年 第19回新制作展「N氏の像」「私の像」出品。「永戸久四郎氏像」。
昭和31年 中央公論社画廊個展(少女像、関取、桃太郎と鬼、他)。第2回現代日本美術展「Sの像」出品。新鋭15人展出品。第20回新制作展「貯金箱」出品。「渡辺氏母堂大黒像」「上林暁氏像」「府中市立プール・少女像(セメント)」。
昭和32年 第4回国際美術展「四股」出品。第21回新制作展「歓喜天」「顔」出品。「大西氏像」。
昭和33年 木内岬と二人展(於・村松画廊)。第22回新制作展「敗け鬼」「捕はれた鬼」出品。「林譲治氏像」「仙波繁雄氏像」「林国蔵氏像」。
昭和34年 第5回国際展「鬼」。木内岬と二人展(かがむ裸婦、他)。第23回新制作展「Aの像」「時代」出品。
昭和35年 木内岬と二人展。第4回現代展「腕組む男」「顔」出品。第24回新制作展「Jの像」「O像」「トルソ」出品。
昭和36年 第25回新制作展「真夜中の椅子」「女の像」出品。「船堀鍛工所社長像」「夏苅伸光氏像」。
昭和37年 2月、扇儔彫塑展(於・新宿第一画廊、戦中世代の彫刻家11名、中村伝三郎協力)「女」「生存のための秩序A」「生存のための秩序B」出品。春の野外彫刻展(於・日比谷公園)「母子(セメント)」出品。第26回新制作展「Uの像」「力士T」出品。「菅礼之助氏像」「朝汐像」「栃光像」。欧州旅行。
昭和38年 第27回新制作展「Yの像」「将軍と兵1・2・3」出品。「田辺尚雄氏像」。
昭和39年 第6回現代展「留学生M」コンクール賞受賞。第28回新制作展「稽古」「Oの像」出品。「小川氏像」「本田弘敏氏像」。
昭和40年 3月、第2回扇儔展(新宿・さくらぎギャラリー)「Iの像」「Mの像」出品。第8回国際展「壁(セメント)」出品。第29回新制作展「トルソ」<静岡県農業会館蔵>「Iの胸像」「Tの像」出品。
昭和41年 第7回現代展「Rの像」「Jの像(木彫)」出品。第30回新制作展「女立像」「Sの像」出品。10月、国際造形芸術連盟展「留学生M」「Jの像」招待出品。
昭和42年 2月入院、3月12日逝去。「水戸清雄氏家族レリーフ」、「女の立像(絶作)」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(141-142頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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