岩田千虎

没年月日:1966/10/06
分野:, (彫)

日展会員、彫刻家岩田千虎は、10月6日午前0時33分、大阪府堺市の自宅で脳卒中のため死去した。享年72才。終始、動物のみの写実彫刻をつくって著名だった千虎は、それにふさわしい職歴の持主である。明治26年10月28日熊本県に生まれる。大正4年大阪府立農学校畜産科卒業、大正10年大阪府立農学校教諭、昭和18年大阪府立獣医畜産専門学校教授、昭和22年大阪府立浪速大学(現、大阪府立大学)獣医科講師、同家畜病院長、同24年同校を退職して、自宅で岩田家畜病院を開業、現在に至った。本業に縁の深い彫刻をはじめたのは農学校教諭時代からで、大阪在住で、元東京美術学校彫刻科助教授であった黒岩淡哉に師事し、昭和8年第20回二科展に出品して初入選し、ついで北村西望にも指導を仰ぎ、昭和9年第15回帝展に石膏像「牡牛」が初入選し、以来帝・文展を通じ10回連続入選した。戦後の日展でも依嘱出品を続け、昭和36年新日展第4回では「闘牛」で菊華賞を受け、翌年第5回日展では審査員をつとめ、38年日展会員となった。以上は主に官展での出品歴であるが、千虎は実に展覧会発表以外の製作歴が豊富である。次に後日の参考のため列挙しておく。<昭和10年>東久邇宮御愛馬及御愛犬を製作、東久邇宮盛厚王成年記念作を製作。<昭和11年>三笠宮に単独拝謁を賜り騎馬像の彫塑作品を献上。<昭和12年>賀陽宮御愛馬奥陸号を製作す。滋賀県大津関寺長安寺の牛仏を寄進す。<昭和13年>賀陽宮御愛馬松駒号を製作献上す。<昭和14年>閑院宮に騎馬像を献上して御陪食を賜る。<昭和16年>李王琅御愛馬秋康号を謹製す。満州国皇帝、蒙古王に作品を献上す。<昭和17年>皇太子殿下に単独拝謁を賜り騎馬像を献上す。<昭和14年以来戦争中の大作>第四師団司令部に馬像寄贈、第四師団司令部に騎馬奇襲の浮彫額面寄贈、輜重兵暁部隊に輜重難路通過の彫塑寄贈、金岡陸軍病院に桃太郎像寄贈、陸軍獣医学校に騎兵斥候の彫塑寄贈、天王寺動物園にリタの像其他の像製作す、北池田村に緊裸農夫の像其の他石田梅厳像等製作す。<戦後の大作>京都府綾部市庁前平和像、南極探検カラフト犬15頭慰霊像・堺大浜公園、(33年に、第一次南極観測隊の際、南極に残留したカラフト犬タロー、ジローを彫って話題をまく)、大阪動物愛護会動物慰霊碑像、福岡県若松第三中学校太郎犬の像寄贈、大阪府動物慰霊像寄贈、婦人補導院鬼子母像寄贈、岡山県吉備津鼻ぐり塚牛豚像、百千鳥耳原伝説像、市民会館噴水に子供の像寄贈、和歌山労災病院庭に伏虎の像寄贈、白鷺サナトリウムに純愛の像寄贈。なお死後、正六位勲五等瑞宝章を贈られた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(147頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

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例)「岩田千虎」『日本美術年鑑』昭和42年版(147頁)
例)「岩田千虎 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9039.html(閲覧日 2024-03-29)

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