阿部晃工

没年月日:1966/01/17
分野:, (彫)

日府会理事、彫刻家阿部晃工(前号・東晃)は、1月17日午後0時20分、肝臓ガンのため日本大学板橋病院で死去した。享年59才。明治39年4月24日北海道士別市に生まれた。本名、喜二郎。上京して文展無鑑査の彫刻家柴田正重に数年間師事し木彫を修得、昭和5年4月東京美術学校彫刻科塑造部選科に入学し、同10年3月卒業、引続き研究科に残り12年3月修業した。在学中、学生相撲で右手肘関節を傷害して左手で主に製作という不自由さにもかかわらず、卒業前の昭和9年第15回帝展に「蒼」が初入選したのをはじめ、つづく文展や大小美術展に14回も入選するという記録をつくり、新鋭ぶりを発揮した。卒業後も引続き発表をつづけ、通算、文展、日展其他に38回入選、4回受賞、無鑑査・推薦3回、招待推薦2回、審査員推薦と経歴書に自筆している。戦後は官展系の団体展からはなれ、昭和26年6月、同志と計って、戦後唯一の彫刻公募団体、創型会の創立に参加し、翌年3月の旗上げ第一回展以後毎年6月都美術館で開催の創型会展に発表したが、同36年1月創型会を脱会した。美術家代表団の一員として37年と38年の2回、短期間渡欧、40年1月インド政府の招待で、仏像研究のため、インド、カンボジヤ等3週間歴訪。39年2月、社団法人日府会に招かれ常任理事委員となり、40年2月の第12回日府展では最高の日府賞を受賞した。晩年の作風は、なおも具象彫刻の領域にありながら、練熟の彫技を駆使した木彫をしばしば手がけ、大きな面を強調要約した簡潔な形態把握の力作に特色を示した。

出 典:『日本美術年鑑』昭和42年版(133頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「阿部晃工」『日本美術年鑑』昭和42年版(133頁)
例)「阿部晃工 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9037.html(閲覧日 2024-03-28)
to page top