橋本朝秀

没年月日:1960/01/31
分野:, (彫)

 日展(第3科・彫塑)評議員、橋本朝秀は、1月31日午前10時6分心蔵衰弱のため東京医科歯科大学付属病院で死去した。享年60才。明治32年8月26日福島県安達郡に生れた。本名秀次、大正8年上京して本郷絵画研究所でデッサンを学び、山崎朝雲に師事して木彫を修業した(昭和3年まで)。大正14年第6回帝展に「幻想」初入選以来7・8・9・10回展と5回連続入選、「法悦」(11回帝展)と「悉地」(12回帝展)で特選、その翌年無鑑査となったのち、引続き文・日展に出品した。昭和18年第6回文展に審査員に挙げられ、また昭和23年弟4回日展出品の「飛天」は政府買上げとなり、第5回・第7回・第9回日展審査員となり、第10回出品の「華厳」で昭和29年度日本芸術院賞を受けた。この間、昭和4年仏蹟及び仏教美術研究のためインドに滞在6ケ月の遊歴をなし、昭和16年夏、蒙彊大同石仏研究のため中国へ赴き、帰路満州、朝鮮の仏像を研究して帰った。戦後は、特に作家生活の円熟完成期に入ると共に、山崎朝雲門下の逸材として頭角をあらわし、日展参事として、また新日展評議員として活躍し、木彫界の有力な存在であった。作風は伝統木彫を基盤にし、殊に晩年は知己有志と共に仏典に関する小研究会をもつなど、その造詣を深めるとともに自己の制作に活かし、主として仏像に独自の新しい解釈を試みたが、現代において伝統的な刀技法を保持する数少ない木彫家の一人であった。人格の円満誠実さと制作に対する一途の努力と精進は知友の間で誰しも敬服するところであった。尚、官展以外に日本美術協会、東邦彫塑院、日本彫塑家倶楽部(昭和31年副委員長)等の各展覧会に作品を発表した。また昭和30年、栃木県今市市・報徳館前建立の「二宮尊徳翁像」(報徳百年祭記念)の記念像作品がある。

出 典:『日本美術年鑑』昭和36年版(133-134頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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