加藤土師萠

没年月日:1968/09/25
分野:, (陶芸)

 重要無形文化財保持者(人間国宝)の陶芸家、加藤土師萠(本名・一)は、9月25日午前11時半、肝臓がんのため東京・新宿区の国立第一病院で死去した。享年68歳。加藤土師萠は、明治33年(1900)、愛知県瀬戸市に生まれ、小学校を卒業後、伊藤四郎左衛門工場の陶画工となり、大倉陶園の初代技師長の陶芸家日野厚に師事し、愛知県立窯業学校の夜学に通い、図案、絵画、英語を学ぶ。大正6年瀬戸陶磁工商同業組合検査員、大正8年愛知県立窯業学校助手となる。大正9~11年兵役に服し、除隊後復職、同14年岐阜県商工技手となり、岐阜県陶磁器試験場に勤務した。昭和3~14年応召されて北支に従軍し、帰還後、商工技手を退官して陶磁工芸の創作に専念する。昭和2年8回帝展に「福寿文壺」を出品、以降毎回出品し、昭和10年に中国・朝鮮に旅行して各地の陶業を調査、同12年パリ万国博に出品し最高賞大賞を受賞した。昭和15年横浜市日吉に窯を築いて創作活動を続け、戦後は日本工芸会に所属し、中国明時代につくられた金襴手黄地紅彩など、現在中国で杜絶えている色絵磁器の技法を再現し、華麗な作品を伝統工芸展などに発表した。昭和28年、東京芸術大学美術学部非常勤講師、同30年教授となる。昭和36年、色絵磁器によって重要無形文化財の認定をうけた。昭和42年東京芸術大学教授を退官、名誉教授となり、また日本工芸会理事、文化財専門審議委員などをつとめ、皇居新宮殿の納める飾り壺を制作中であった。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(68頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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