石黒宗麿

没年月日:1968/06/03
分野:, (陶芸)

 重要無形文化財保持者、日本工芸会理事、石黒宗麿は、6月3日、京都市左京区の自宅で死去した。享年75歳。石黒宗麿は、明治26年(1983)4月14日、富山県新湊の医師石黒伯の長男に生まれた。明治31年7月11日富山県立富山中学校を中退したが、大正8年ころ東京美術クラブにおいて、世界の名器として定評のある稲葉家から岩崎家に移った曜変天目茶碗、「稲葉天目」をみて感激し、陶芸に志すにいたった。大正10年5月に上京して渋谷区富ヶ谷に築窯して製陶研究にはいり、同12年8月埼玉県比企郡に築窯、同15年2月に金沢市に移り、昭和2年1月京都市東山に転じ、このころから小山富士夫氏らと中国、日本の古陶磁の研究に着手し、その再現に努力した。石黒宗麿は、特定の師につかず、専ら古陶磁を師として独学研究に従ったが、昭和9年6月からは1年間、佐賀県唐津市に滞在して古唐津とお茶碗窯復興に尽力し、同10年4月10日には京都市郊外八瀬に築窯した。昭和13年5月、中国、満州、朝鮮各地の陶磁業を視察し、同16年11月、柿天目、黒定窯、河南天目、木葉天目など曜変天目からの感動に発した宋窯の研究は一応その技法を解明して完成された。こうした鉄釉にかかわる宋磁研究をもとにして品格の高い作品を発表し、他の追従を許さない境地を開拓し、また唐三彩、均窯、絵高麗、三島、唐津などの作域においてもすぐれた技術を示し幅広い活動をおこなって、陶芸界に大きな影響を与えた。昭和30年2月、鉄釉陶器の重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受けた。また同年設立された社団法人日本工芸会の理事に就任し、伝統工芸の振興に力を尽し、昭和31年2月には富山県新湊市名誉市民に推され、同年6月には陶芸研究家のために居住していた住居、工房を提供して財団法人八瀬窯を設立し、後継者の養成にあたった。昭和38年11月、紫綬褒章を受章。なお、晩年には社会福祉法人愛隣会を通じて、身体障害者、精神薄弱児、母子家庭、保育園などの福祉活動にも献身的に協力していた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和44年版(65頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
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