伊藤熹朔

没年月日:1967/03/31
分野:, (舞台装置)

 舞台装置家、芸術院会員伊藤熹朔は、3月31日肺ガンのため東京都杉並区の自宅で逝去した。享年67才。明治32年8月1日東京に生れる。大正12年東京美術学校西洋画科を卒業、在学中から舞台美術を志し、土方与志模型舞台研究所に基礎を学び、舞台装置家としての第一歩を踏みだした。本格的な仕事をはじめたのは築地小劇場においてで、1925年(大正14年)、上演の「ジュリアス・シイザア」が最初の装置となり、ゴードン・クレイやアドルフ・アッピアなどの反写実的、象徴的な斬新な表現で注目された。しかし、後年は写実主義的な舞台装置の研究に進み、「土」「夜明け前」「大寺学校」など多くのすぐれた作品を創り出している。著書“舞台生活三十年”の中で、自分たちは戦前、写実主義その他のイズムを通ってきたような錯覚を持っているが、どれも徹底していない。こうした、やりのこした仕事を今度こそしっかりと世界的水準にしたい、写実主義にしても、これを徹底して研究するには生涯を必要とする、と述べている。この一章は、そのまま、明治以降の近代絵画への批判にも通じるが、彼の写実主義への指向も、念願の舞台美術におけるアカデミズムの樹立を実践しようとしたものであった。写実的な装置をすすめる傍ら、戯曲によっては、彼が好んだと思われる、きわめて象徴的な優れた装置も少くない。単純化された、簡潔な装置は俳優の動きを引きだし、ひき立たせるとともに、その動きによって空間は生き生きと見事な精彩を放っていた。彼程、戯曲を理解し、俳優の動きを生かした装置家は少ないといわれるが、その独創的な構成からもうかがえるように豊かな天分の持主でもあった。作品の幅は広く、新劇から歌舞伎、新派、新国劇、舞踊、歌劇、更に映画、テレビとあらゆる分野に亘り、作品は4,000を越えると伝えられている。舞台装置家の仕事の、全く確立されていない時代にあって、大道具師の古い手法から舞台装置を独立させ、舞台美術として高め、また詳細な設計図によって、組織的な製作法をとり入れるなど、舞台装置の近代化を身をもって開拓し、装置家の地位を高めた功績者の一人であった。受賞歴-昭和24年、芸術院賞。37年菊池寛賞。38年朝日賞、芸術院会員。著書「舞台装置の研究」(小山書店)「舞台装置三十年」(筑摩書房)

出 典:『日本美術年鑑』昭和43年版(143頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「伊藤熹朔」が含まれます。
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