吉田苞(しげる)

没年月日:1953/04/27
分野:, (洋)

 光風会々員吉田苞は4月27日岡山市の自宅に於て十二指腸潰瘍のため逝去した。享年70歳。明治16年4月岡山市に生れ、同41年東京美術学校西洋画科を卒業後は終始官展に出品をつづけ、又光風会々員として同展にも作品を発表した。岡山県美術協会々員、大原美術館理事でもあつた。
略年譜
明治16年 4月25日岡山市に生れた。
明治41年 東京美術学校西洋画科卒業。更に研究科に入る。
明治43年 同校研究科修業。
明治44年 麻布連隊へ志願兵として入隊、歩兵伍長として同年暮除隊。
明治45年 岡山に帰る。
大正4年 第9回文展へ「森」を出品、初入選となる。
大正5年 第10回文展に「雁来紅」出品。
大正6年 第11回文展に「赤松」出品。
大正7年 第12回文展に「陶窯」出品。
大正8年 第1回帝展に「峠の池」出品。第六高等学校講師となる。
大正9年 渡仏。
大正10年 帰朝、第3回帝展に「公園の朝」「ブルージュにて」(特選)を出品。
大正11年 第4回帝展に無鑑査として「母と子」「木蔭」を出品、「母と子」は特選となつた。
大正12年 光風会々員となり、以後帝展(第11回展迄)、光風会展に出品をつづけた。
昭和4年 児島虎次郎の没後、同氏担当予定の壁画(対露宣戦御前会議)の揮毫を依嘱され、同9年に完成納入す。
昭和10年 帝展廃止後二部会へ「奈良の森」出品。
昭和17年 第六高等学校講師を辞任。
昭和28年 岡山県文化賞を受く。4月27日、岡山市の自宅において逝去。

出 典:『日本美術年鑑』昭和29年版(157頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「吉田苞」が含まれます。
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