宮坂勝

没年月日:1953/04/10
分野:, (洋)

 国画会会員、同会理事、武蔵野美術学校教授宮坂勝は国画会出品作を制作中脳溢血のため、大田区の自宅で死去した。享年58歳。
略年譜
明治28年 1月1日長野県南安曇郡に酒造業宮坂熊一の次男として生れた。母ミ江。
大正2年 長野県松本中学校卒業。
大正8年 東京美術学校西洋画科を卒業。
大正12年 渡仏、アカデミー・モデルヌに入り、オットン・フリエスに師事。
昭和2年 帰朝。第6回国画創作協会展に「女画家」「静物」「南フランス風景」「川べり」「裸婦」「アデン港」等滞欧作を出品、国画創作協会奨励賞を受け、同時に会友に推挙される。郷里松本において松本洋画研究会をおこす。
昭和3年 上京。第7回国画創作協会展「初秋郊外」。
昭和4年 1930年協会々員となる。第4回国画会展「林」「裸体」。
昭和5年 国画会会員となる。以後毎年同会に出品を続ける。
昭和6年 帝国美術学校教授となる。第6回国画会展「伊豆下田風景(一)」「同(二)」「同(三)」「伊豆須崎風景」「裸婦デッサン」。
昭和8年 第8回国画会展「ポプラ」「浅間風景」。
昭和9年 第9回国画会展「裸婦習作」「上高地風景」「下田風景」。朝鮮に旅行する。
昭和10年 第10回国画会展「河港」「練光亭」「練光亭と大同門」。ハルピンに旅行。
昭和11年 第11回国画会展「キタイスカヤ街」「大同江岸」「夏スンガリー」「大同門」。満州熱河に旅行。
昭和12年 第12回国画会展「熱河風景(一)」「同(二)」「裸体」「熱河風景(三)」
昭和13年 第13回国画会展「立てる裸婦」「腰かけたる裸婦」。第2回文展「裸婦立像」無鑑査。
昭和14年 第14回国画会展「夕之雪山」「雪の南駒ヶ岳」「夕の西駒ヶ岳」。
昭和15年 第15回国画会展「風景(1)」「同(2)」。紀元二千六百年奉祝展「憩い」。北支に旅行。
昭和16年 第16回国画会展「立てる裸婦(デッサン)」「臥せる裸婦(デッサン)」「腰かけたる裸婦(デッサン)」。再び北支へ旅行。第4回文展「路傍群像」無鑑査。
昭和17年 第17回国画会展「裸婦習作」「湖畔雪景」。第5回文展出品「北京北池子街」政府買上となる。
昭和18年 第18回国画会展「波切風景」「北京風景(1)」「同(2)」。第6回文展「山湖初秋」無鑑査。
昭和19年 第19回国画会展「早春」「雪」。戦時特別文展「秋色」。
昭和21年 第20回国画会展「晩秋雑木林」「柿」。第1回日展出品「スケート」特選となる。第2回日展出品「湖畔」特選。信州美術会を結成、同会幹事、審査員となる。
昭和22年 第21回国画会展「雪三題(A)」「同(B)」「同(C)」。
昭和23年 第22回国画会展「早春」「裸婦」「残雪」。第2回美術団体連合展「山湖新緑A」「同B」。
昭和24年 第23回国画会展「湖畔」「雪山」「裸婦」。第3回美術団体連合展「裸婦」。
昭和25年 第24回国画会展「晩秋(B)山は雪」「晩秋(A)凩の後」「晩秋(C)静かな湖」。第4回美術団体連合展「山村新緑」「裸婦」。
昭和26年 第5回美術団体連合展「風景」。この年末頃より喘息に悩む。
昭和27年 第26回国画会展「寝ている裸婦」「立つている裸婦」「腰かけている裸婦」。
昭和28年 喘息によつて心臓を痛め、第27回国画会展出品のため「夏の湖」を製作中、未完成のうちに4月10日脳溢血により逝去。国画会展に遺作陳列。松本市より地方文化向上に寄与した功績により功労賞をうけた。

出 典:『日本美術年鑑』昭和29年版(156頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2015年12月14日 (更新履歴)
『日本美術年鑑』に収録されている以下の記事にも「宮坂勝」が含まれます。
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